ALMOND GWALIOR −168
「言葉を重ねれば重ねるほど、真実から遠ざかる」
 夫は口を開いてくれた。
 後で夫は言った。”重い口”ではなかったと。ずっと言いたかったのだと ――


「私はジルオーヌを殺害しようとした」
「殺害できなかったの?」
「……あの場に兄が、キャッセル兄が来なければ!」
 激高した夫はテーブルをたたき割る。
 苛立たしさを隠すことの出来ない夫を前にしたのは……初めて会った時以来だった。ザウディンダルの言葉に傷ついた時以来。
 人は誰でもそうだが、傷つきたくはない。そして傷から目を背ける。私だってそうだ、夫の深い傷に触れることもなければ、見ることもしなかった。
 そして見ようとした今も揺れている。
 これが偽善からくる物で、私だけが満足する物になったらどうしようか? と、なによりも恐れてもいた。

「私は首席になりたくて、ジルオーヌを殺害しようとした」
「貴方はどうして首席になりたかったの?」
「首席に代理総帥の地位を与えることが決まっていたからだ」
 当時陛下は幼く、たった一人の皇族だったこともあり、総指揮は代理が執ることになったのだと。その代理は「新卒」が就くことになったのは……王家との絡みや、元からの派閥を持ち込まれることを牽制してのことだと夫は言った。
「私は代理総帥になりたかった! それには彼女が邪魔だった! だから殺害を企てた!」
「それだけ? 本当にそれだけなの?」
「……」
「彼女の下風に立つのは嫌だったの?」
 夫は実力を認めることが出来る人だ。だから彼女の方が勝っていたとしたら、従うことができるはず。夫が彼女に従うことができなかったのは、それ以外の理由があるに違いない。
「最初から順を追って全て話そう。だがこれだけは間違わないでくれ。私は自分の意思で、自分が代理総帥の座に就きたいがためにジルオーヌを殺害しようとした。単独で計画を立て実行した」

 私は頷いて、夫の隣に座り握り締めて膝の上に置かれている拳に手を重ねた。

 夫たちの生い立ちが悲惨なことは知っていたけれども、まさかキャッセルさまが性的な虐待を受けているとは知らなかった。
「食料につられての事だった。私を含めた弟たちの分を性行為で得ていた。本人は性行為であることを理解していなかった。たとえ理解していたとしても……アニエスも知っての通り、兄は世間一般の常識に当てはめ、解り易く表現したら”狂っている”から何とも思わなかっただろう」
「幼少期のその経験が今のキャッセルさまの性格に関係しているわけでは……ないのね」
「違うそうだ。上流階級、とくにリスカートーフォンに出やすい性質なのだそうだ。あのイデスア公爵ビーレウストも同じ性質だそうだが……彼らはあの性質の特性を良く理解しているので、上手に育てることができると聞いた。私たちがそのことを知った時には兄は育ちすぎていて、もう矯正は不可能だった」
 皮を剥いだ小動物を持って来るという、私から見たら残酷以外言葉が思い当たらない行為。ほんの少しのことで治せたのだ……ただ夫たちがうち捨てられていたから、そうは育てなかった。
「兄に性行為と引き替えに食料を与えていたのはリスカートーフォン系の皇王族……奴等は兄の特徴を理解して、なにをされているのか解らないことを見越してのこと。……当時の兄は可愛らしかった事も関係しているだろうが」

 ジルオーヌ=ジルデーグ・サクティアールス・ベルディンド。リスカートーフォン系皇王族。そして殺害……私の中に現れた存在。

「その皇王族はターレセロハイ。娘がジルオーヌ=ジルデーグ・サクティアールス・ベルディンド。私は……彼女を認めることができなかった。彼女が関係していないことは解っていたが、許せなかった。何よりも、彼女が代理総帥となり兄に、キャッセル兄に! 出撃を命じることが……我慢できなかった」

 帝国騎士に対する出撃命令は代理総帥だけが出せる。そして出撃命令は……死の命令でもある。ああ、そうね。かつてキャッセルさまを虐げた男の娘が、キャッセルさまの生死を握るなんて……感情として許せないと。

「違う! 違うんだ!」
「なにが?」
「兄は関係ない!」
「キャッセルさまは関係ないと」
「そうだ! 私は……私は代理総帥になりたかっただけで! ……兄は、兄は関係ないんだ。悪いのは私であって、兄ではない」

 夫が一人で彼女を殺害したのなら、死体はあそこまで破損していなかったでしょう。キャッセルさまがやったとは……言い切れない。
 あの場に、彼女を殺害しようとした場にキャッセルさまが現れたことで、夫の精神の箍が外れたとも考えられる。
 私は夫が口を開くのを待った。

「学校の成績通り、白兵戦実技で敵わない私はジルオーヌを殺害できなかった。彼女は強かった……だがそこに、兄がやってきた。兄は私に加勢して、ジルオーヌは殺害できた。兄は殺すというより、私が殺す手助けをしてくれた。その手助け方法が……あの死体だ。兄はジルオーヌを弱らせようと、髪を根本から引き抜き、皮を剥いで足を折った ―― タウトライバ! ほら、殺して! 殺して! ―― と。私一人で殺害できる段階になったところで、兄には去ってもらった。だから……殺したのは私だ」
 キャッセルさまは本当に心から、夫の手助けをしたのだろう。
 殺すことが悪いことだと知っていても理解できないキャッセルさまは……夫のことを助けたのだ。
「私は瀕死のジルオーヌに……ターレセロハイのことは言わなかった。彼女が知っていたかどうか? それは解らない。だが……」

 夫は言葉を濁した。これに関して、夫は一切口を開かなかった。でも私は感じるものがあった。呼び出しに応じたジルオーヌの心の中に、夫に対する何らかの想いがあったことを。
 それが愛に関するものなのか? 賢い彼女は父であるターレセロハイの愚行を知っていたためなのか? 瀕死の彼女は聞いて欲しかったのかもしれない。そして夫は聞きたかったのだろう。聞けばもっと楽になっただろうから聞かなかったのだろう。
 永遠に聞くことのできない【答え】がもたらす苦痛。

「私は彼女を殺害し、デウデシオン兄に報告しにいった。最初は私一人だと言い張ったが、死体の有様で……」

―― タバイ! キャッセルを呼べ! タウトライバを牢に繋げ!
 私がやったんです! 私がやったんです! 私一人でやったんです! キャッセル兄は関係ないのです!
―― タバイ! 早くしろ!

「すぐにばれてしまった。口裏を合わせていなかったので、キャッセル兄は全てをデウデシオン兄に語ってしまい……タバイ兄は……」

―― お前の気持ちは分かる。私も同じだ……ターレセロハイの娘にキャッセルの生死を預けたくはない ――

「デウデシオン兄がターレセロハイ側に圧力をかけて、この事件は未解決のまま終わり、私は首席に繰り上がって代理総帥の座についた……それでね……アニエス」
「なに?」
「兄弟はみんな知っているし、責めはしない。でもね……でもね! 私がキャッセル兄のためにジルオーヌを殺したと思っているんだ!」
 私もそう思って話を聞いていたけれども、夫は全身で否定する。
 この否定こそが、夫がいままで私に語らなかった理由だったのだ。
「違う! 違うんだ! 私はキャッセル兄のために殺したんじゃない! 私は私の為にジルオーヌを殺害したんだ! 私の一存で、私の罪で……責任はキャッセル兄には何一つ関係ないんだよ……兄は……兄は……悪くない」
 どれ程否定しても、誰もが”知っているから大丈夫”と否定してしまう。
 頭を振って否定する夫と、兄弟たちの言葉。正しいのは……兄弟のほうだと私も思う。ジルオーヌがターレセロハイの娘でなければ、夫は彼女を殺害しようとはしなかったに違いない。
 でもそれは……
「そうね。殺人の理由を他者に押しつけるなんて、出来ないわね。全部貴方がやった事なのね。キャッセルさまは関係ないのよね」
 膝の上に倒れて込んで泣いている夫の髪を撫でる。
 ―― 誰かのために人を殺した ―― それを美しいものと夫は考えたりはしない人なのだ。そしてまた理由が他者にあると言う事が卑怯だと夫は知っている。
 欲しいものが罪を認める言葉なんて……。
 でも私はそう言えるけれども、夫の兄弟はやはり言えないでしょう。
 これが妻と兄弟の違いなのだと私は考える。立場の違い、今まで過ごした間に起きたこと、血の繋がり。
 夫は顔を隠したまま、話を続けた。
 それはもうジルオーヌ、彼女のことではなかったけれども。
「代理総帥になって後悔している」
 戦争に行くことを嫌っていないように見えた夫。
「どうして?」
 彼女を殺害してまで得た地位と後悔、それを繋ぐのは……キャッセルさまでしょうね。
「私は兄に毎回死刑宣告を下さなくてはならないからだ」
 キャッセルさまの生死を支配してしまった事に気付いた夫の後悔。この人は普通の感覚を持っている人だった。
「御免なさいね」
 私はまだ夫のことを良く知らなかった。だからキャッセルさまを恐れた。
「なにが?」
「独り言よ」
 二人に向ける謝罪。
 私は夫から大きなものを奪った。返したいと言っても簡単には返すことができない。そして息子に対する言葉。
 エルティルザは軍人になる。軍人になるというのは、どういう事なのか? 私は知っている。知っているのに、私は息子を普通の少年に近い感覚で育てた。
 人を殺してもなにも感じないような子には育たないで欲しいと願い、でもそれが息子を苦しめることは……解っているのに。

 この決断と養育が正解だったのかどうか? 后殿下の生まれた衛星に向かった息子の初の任務で明かになるのだ。私は手を振って見送りながら……帰ってきた息子が私のことを許してくれるだろうかと考えていた。

**********


「……」
 アニエスは目を覚ました。二時間ほど眠りから目覚めた彼女は体を起こして、腹部に手をあてる。胎内に宿った「女の子」

―― 容姿はガーベオルロドに似ている。それでも良いか? ――

 帝国から消えた「女性」を復活させるための「両性具有」
 アニエスは計画を持ちかけてきたエーダリロクに「なぜ自分なのか?」尋ねた。
「今のところシダ公爵夫妻、あんたらの息子だけが帝国騎士の能力を持っている。帝国騎士の能力は両性具有に通じるものがある。ザウが帝国騎士の能力を持っている事からも解るだろう。あんたとシダ公爵の相性がいいんだろう。体じゃなくて細胞レベルの相性が」

 彼女はゆっくりとベッドから降りて立ち上がり、窓際に近寄り目もくらむような夕映えを見つめながら、
「しっかりとご飯食べて、早寝しているかしらねえ。三人で大騒ぎしていなければいいけれども」
 いつもと同じ台詞を繰り返し、部屋を後にした。


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