ALMOND GWALIOR −162
 青空に吸い込まれるようにして消えた、漆黒の女神の名を持つ白い旗艦。
 皇帝の父たちとシュスタークを見送ったデウデシオンの胸中に訪れるもの。
 それが何であるのか?

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 帝星から離れて行くシュスタークとザウディンダル。距離が離れれば離れるほどに、デウデシオンの意思は下降してゆく。
「暗示かかり辛いほどの、生への欲求が下降したな」
 ディブレシアやランクレイマセルシュが持つ暗示の能力は”無”であっては使うことができないものだ。
 生きる事に貪欲な人間を死に追い込むことは可能だが、無気力な人間を直接死に追い込むことはできない。同性愛者を異性愛へと大きくねじ曲げることは可能だが、同性愛者に特定の異性を愛するようにすることは無理。
 カニバリズムや殺人や強姦などは暗く深く抑圧された欲求の解放は容易いが、なくすることは不可能である……など、様々な制限がある。
 なんにしても暗示は無に意欲を沸き上がらせるものではない。あくまでも本人が持っている欲求を使用する。
 その中でもっとも使用されるのが「生」への欲求。
 生きていることそのものが、強い欲求の上に成り立っている。
「いかがなされますか?」
 デウデシオンの生に対する欲求は濁りはじめた。
「執着心を沸きおこさせればよい」
 暗示は意欲を取り戻させることはできないが、それ以外の方法はある。
「生への?」
「違う。両性具有に対してのだ。それは生へと通じるが、道は人が焼けた鉄の上を歩かされるような拷問よ」

―― デウデシオンが触れたくはない過去の性的な拷問を引き摺りだす ――

 拷問という単語にディブレシアがなにをしようとしているのか理解した皇君は、それ以上踏み込むことはしなかった。
 具体的な話は、皇君もあまり聞きたくはない。
 他者は”流す”こともでき”気にならない”のだが、クレメッシェルファイラのことだけは、皇君も苦手だった。彼女の瞳の色が自らが熱望した「藍凪の少女」と同じであることが関係しているのだろうと。幸せを映し続け愛された瞳。
 海に囲まれた隔離室で空を望んだ皇君。その空が暮れていようとも望んでいた。眼前に広がった空はやはり藍色。満足出来るはず―― だった。
「思い出したくもないことを思い出すことになるとはな。余の暗示から意図せずとも逃れることの愚かさ、身をもって知るがいい。デウデシオン」
 クレメッシェルファイラが愛していたデウデシオン。
 皇帝であり生母でもあるディブレシアに愛されているデウデシオン。
 両者がデウデシオンに向けた愛は、どちらも未来のない重苦しいもの。
「ティアランゼさま」
 それでもクレメッシェルファイラの愛は死という形を持って昇華されている。残っているのは、歪な鬼畜の愛を向ける女と死に囚われ続けようとする男。
「なんだ、オリヴィアストル」
 クレメッシェルファイラの死に囚われることで、今の自分の感情を誤魔化し、その誤魔化しができなくなったことで生に背を向けるデウデシオン。
 それも生き方だろうと皇君は思うが、許さない存在がいる。―― いつこの方はデウデシオンを解放するのだろうか ―― 皇君ですら恐ろしくて聞けないこと。
「パスパーダを皇帝の座に就ける理由。そろそろ教えてもらえませんでしょうか?」
 皇帝の座に就けることで昇華されるのだろうか? そう思い尋ねた。皇君にはその位しか理由が思いつかなかった。
「そうか。知りたいか? オリヴィアストル」
 ”ティアランゼさまはデウデシオンの即位で満足して死んで下さるのだろうか”
 波打つ長い黒髪、健康的な肌色。金と赤の瞳。薄い唇と鋭い歯の並ぶ口。艶やかで自在に動く舌。美しい肉付きの体。なんど口付けたか解らない爪先。
 それらを前にして、皇君は自分がディブレシアの死を望んでいることに気付いた。その死が自分の破滅であることは理解している。隠し通すつもりもない。
「はい」
 だが皇君は自らの解放はまだ望んでいなかった。皇君が思う死は、デウデシオンの解放に繋がる彼女・クレメッシェルファイラの幸せ。
 悲しい輝きと悲哀に濡れ、叶いはしたが成就はしなかった恋の果てに自らの身を焼く炎を映して死んだ《彼女》が幸せになれと。皇君の考える世界では、彼女を幸せにするためには、ディブレシアの死を望むことしかできなかった。それ以外の方法を皇君は知らない。
「理由などない」
「は……」
「理由はないと言ったのだ」
 皇君の予想もしていない答えが返る。ディブレシアの笑みと金の瞳に宿る蔑み。
「あの……」
「ザンダマイアス、お前も存外俗物だな。理由を欲するな。そんな物に縋りついて生きるな」
「……」
 人を殺すのに理由など要らないと言った男がいた。
 金を貯めるのに理由など必要なのか? と言った男がいた。
「駄目か? 理由が欲しいか? 余に従う新たな理由が。藍凪の少女を手に入れ、欲がでたか?」
 理由ではないのだ、その物が楽しいのだ。
 結果ではない、過程を楽しむ。
「……」
 理由に拘泥しない。思うままに、だが幾重にも張り巡らされた策。信念や大義などに惑わされることなく、純粋に思うままに描く”もの”
「よかろう。お前が満足するような理由を造ってやろう。皇帝は臣民に対し、安息を与えてやるものだからな。デウデシオンが皇帝となると、後継者問題が発生する。後継者は余の産んだルーカリアンシュが立つであろう。なにせ余の息子だ。皇帝が産んだ子だ、後継者には相応しい」
「納得させるのは不可能ではないでしょうか?」
 母と実子の間に産まれた子。それも皇帝と簒奪者の間に誕生した子では、どう考えても不可能だろうと皇君は思ったのだが《皇君は知らないことが多い》
「エーダリロクが知力の限りをつくして説得は成功するであろう」
 皇君の知識量が少ないのではなく、ディブレシアが脅威的な知識を誇っている。
「と……言いますと?」
「エーダリロクは天才だ」
「はい」
「あの男は同時に帝王でもある」
「はい」
「あの両者が揃ったことで、ヒドリクが散失させた過去の復元が可能となる。その過去の中に、ある物の作り方があるのだ。真祖の赤の作り方が」
「……」
「余の中には真祖の赤の基礎がある。余の産んだ子のなかでは、デウデシオンだけが基礎を持っておる。帝国が第一子相続である理由は、これも含まれているのだ。第一子のクローンが神殿に収められる理由もな。これは調べても解らない箇所だ。お前には言っても理解できぬであろう。デキアクローテムスであれば、このように言われて解らなくとも納得するであろうがなあ」
「……」
「お前はデキアクローテムスではないからして、解らぬまま聞き続けるがよい。余はこの身に備わっておる生体プラント機能の全てをつぎ込み、余の手元にある基礎とデウデシオンの基礎を足しルーカリアンシュを造った。ルーカリアンシュの繁殖だけが真祖の赤へ近付くことができる手段。そして失われた歴史の解明に向かう唯一の手掛かりとなる」
「まさかバロシアンが……」
「バロシアンなどという、両性具有が産んだ屑と同名で呼ぶな」
「ですが、真祖の赤は造るのには……」
「技術としては無理だが理論は解るのだ。真祖の赤そのものは、偶然の産物ではない。意図して造った生物だ。人造人間が造った”人造生物”。それは限りなく人に似ていながら人ではなく、限りなく人造人間に似ていながら人造人間でもない。人造人間が人造人間のために造った神であり、人のために存在する神ともなりえる。それが真祖の赤」
 計画そのものも自らの手に負えるものではないと皇君は自覚していたが、理由はさらにその上をいった。
「ザンダマイアス」
「はい」
「お前が外界を望んだ”藍凪の少女”。そのモデルであるグラディウス・オベラの夫サウダライト。あれはイネス公爵家の第一子だったな」
「……はい。ですが彼の祖母は……」
 現ケシュマリスタ公爵家の祖である、サウダライト帝。
 彼は母親が皇妹(実姉が二十二代皇帝)で、祖母がケシュマリスタ王女であった。
「基礎は存在しなくとも、第一子ならば必ず備わるのだ。両親にとって第一子であれば、両親が第一子以外同士であっても備わる。もちろん片方が第一子であれば、基礎は他者よりも多く備わる」
 このケシュマリスタ王女と、史上最強と言われるマルティルディ王とは”王妃”が異なる。
 マルティルディ王の曾祖父は二度妃を娶っており、最初の妃の間に生まれた系譜がマルティルディ王で、二人目の妃の系譜がサウダライト帝となる。
「サウダライトは確かに第一子でした」
 第一子に”なんらかの基礎”があるとしたら、サウダライト帝が傍系ながらも皇帝に立てられたことは納得できることだった。
 そしてサウダライト帝はすでに公爵時代に子がいたので、次の皇帝アルトルマイスには”なんらかの基礎”は受け継がれなかったことは確実。
 ましてアルトルマイス帝は母親が人間で基礎は受け継ぎようがない。
「……」
「貴様等マルティルディ・ケシュマリスタは基礎を持っておる。第一子だけだが確かに持っておる。その基礎があるからこそ、余はあれを見ただけで簒奪の意思が解ったのだ。ラティランクレンラセオ、あれは確かにケシュマリスタ第一子だ」
「……」
 アルトルマイス帝は《ガルベージュス公爵》の第一子を娶った。皇帝に最も近いとされていた二人のうちの一人。
「ザンダマイアス」
「はい」
「基礎をガルベージュスから受け継ぎ補強したと思っているようだが。ガルベージュスはなあ……これは良いか。余もいまの今までそう思っておったが」

―― 帝王の記憶にあった、あれが真実であれば……

 ディブレシアの中にいる人格がザロナティウスと接触した際に、僅かながら流れ込んできたものがあった。それがガルベージュスに関すること。だがはっきりと探ることができなかったので言葉を濁す。
 そのディブレシアの前で、今語られたことが本当なのかどうか? もはや皇君には判断できる域ではなかった。
 ディブレシアの言葉に飲み込まれて行くのみ。
「ザンダマイアス。お前は真祖の赤を造ることが出来ると知りながら、それを退けられるか? ヒドリクが散失させた歴史が苦もなく再現されるのだぞ」
「それは! ……それは無理ではありませんか?」
「どうしてだ?」
「真祖の赤が歴史を再現とは……あれは万能ですが、そのような能力は!」
「エーダリロクは帝王の記憶を手繰れる。真祖の赤は様々な記憶を手繰れるのだ。エターナ=ロターヌやロターヌ=エターナなどではない」
「……」

 手持ちのカードが桁違いで、皇君はすぐに追い詰められた。

「満足したか?」
「いま語られたことは真実ですか?」
「臣民は皇帝の言葉をありがたがり、盲信すれば良い。さすればこの帝国で臣民でいられるのだ。それを愚民ともいう輩もおるかもしれぬが、それはエーダリロクのように自ら真実に辿り着ける者だけが発することを許される言葉だ。お前は真実に辿り着けるのか? 辿り着けるのならば盲信などせずとも良い。無理だと思えば余の臣民であり、帝国の愚民であるが良い。余は拒まぬぞ。ザロナティウスも拒まぬであろうよ」
「……」
「お前は余の世界でしか生きておらぬ。解るな? お前が真実に辿り着くことは死ではなく、お前の喪失となる。鎖に繋がれた小象と名乗ったお前よ。お前は宇宙の広さを観るために鎖を引きちぎるか?」
「……」
「だから理由など欲するなと言ったのだ。理由などお前には大きすぎる。お前は今既に理由の大きさに押し潰されかかっている。哀れだなオリヴィアストル」
「過分の要望を叶えてくださり、感謝しております」
「ではな、オリヴィアストル」
 ディブレシアはキャッセルの宮から、デウデシオンがいる邸へと向かった。闇夜よりも濃い黒髪に一礼し、
「いきなさい」
 部屋で飾られた人形のように黙っていた”ザンダマイアス”たちが、主の声に従い動き出す。ディブレシア、ザンダマイアスたちに遅れて部屋を後にした皇君は、夜気の冷たさに振り返った。振り返った先には先程まで自分がいた部屋が見える。
「お留守番しているんだよ、ザンダマイアス」
 キャッセル似の二人に声を掛けて、皇君は歩き出した。

**********


「ガルベージュス総司令が大公夫妻の第一子じゃないって本当かなあ」
《どうであろうな。だがこの本人が残しているのだから……》
「でもよ。第一子に出る特徴的なアレがあるんだよ」
《”アレ”とはなんだ?》
「え? あんた知らないの。第一子にはさあ……」

**********


―― ルーカリアンシュの繁殖だけが真祖の赤へ近付くことができる手段。そして失われた歴史の解明に向かう唯一の手掛かりとなる ――

「それは真実ではないが、瞳を持たぬ”皇君”は決して真実には辿り着けぬからな」
 デウデシオンの宮の上下水道施設で薬を流し込んでいるザンダマイアスなど気にもせずに、ディブレシアは水の流れをみつめる。
「海に封印されし、両性具有と異形か……ラティランクレンラセオがカルニスタミアのことに気付かぬのも無理はないか」


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