ALMOND GWALIOR −154
「……以上だ」
 デウデシオンの執務室に、デ=ディキウレ以外の弟たちが集まり、最終確認を兼ねた小さな結団式を行っていた。

 シュスタークに何事も無く前線で指揮を執らせ、指揮権を発生させて「総帥」の座に就けることと、その後の「ジルオーヌ計画」を完遂させること。

 それぞれに課せられた任務を噛み締め、各々頷く。
「さて、あとはなにか言いたいことがあったら……」
「はいっ!」
 デウデシオンの問いかけに、元気よくキャッセルが挙手する。
 ”とんでもないこと”を言う可能性が高いのだが、
「……そうか、ではキャッセル」
 兄弟だけだから良かろうとデウデシオンは許可を出した。
 発言許可を貰ったキャッセルは、笑顔を浮かべてデウデシオンに発言した。
「ザウディンダルのきんたまふかふかまくらを、兄上にも是非ご堪能していただきたいです」
 前置きもなにもなしで”これ”である。
 善悪の判断がつかないのだが、善悪というのは判断がつかないと些細なことでも空気を凍らせる。もちろん本当に空気が凍ることはなく、温度が下がることもない。
 兄タバイの胃が壊れるのは現実ではあるが。

01.デウデシオン・ロバラーザ・カンディーザーラ ← 一瞬にして悲哀に満ちあふれた
02.「き……」タバイ=タバシュ・ダーナメイズス・ビルトハルディアネ
03.「ん!」キャッセル・アレリキャラス・ビルトハルディアネスズ
04.「た……」タウトライバ・ポーリンクレイス・ウェルスタカティア
05.デ=ディキウレ・バナスバード・リベンタルキアーフィ ← この場にはいない。床下にはいる
06.「ま!」シャムシャント・シーランディ・セルベデオイド
07.「ふっ!」アニアス=ロニ・ラディラクス・フォレンビンレン
08.「かっ!」クラタビア・ヤグディナン・ジュディアンディア
09.「ふっ!」クリュセーク・イベジオン・ルクネモス
10.「かっ!」アウロハニア・キュセド・ディベルディアイム
11.ザウディンダル・アグディスティス・エタナエル ← 硬直している
12.ナイトオリバルド・クルティルーデ・ザロナティウス ← 当然いる筈もない
13.「ま!」クルフェル・リークエット・ベルシアローゼ
14.「……く」セルトニアード・ソファイゲン・シャナイシェン
15.「らっ!!」バロシアン・ランディバーザーラ・ルーカリアンシュ

 思わず声を上げてしまったタバイに続くキャッセル。そこで止めると、もっと酷いことになりそうだと繋げたタウトライバ。その後はもう勢いがついて止まらない。
 硬直しているザウディンダルを素通りし、異父兄弟の中ではもっとも大人しく控え目な、セルトニアードが声に詰まったが、勢いを止めることは彼にはできずに、バロシアンに締めてもらうためにも、擦れた困惑だけで作られた「……く」と声を発した。
 こういう時は、止めたり無言になったりしたら負けである。負けてもいいから、無言になりたい人もいるであろうが。
「本部に修理にきた時、ザウディンダルを肩車しまして。その際に後頭部にあたった、幼児のものではない成長した男性器に、ザウディンダルの成長を感じました」
 昔ザウディンダルを肩車していた男は、同じく肩車をしてやっていた兄に滔々と語る。
「それはもう”ふかふか”です」
「……」
 悪気がないのはデウデシオン以下全員が解っているが、この場の空気を変えるのは至難の業。
 弟の育て方を思いだし、打ちひしがれかかっているデウデシオン。胃を押さえて冷や汗を浮かべているタバイ。デ=ディキウレは床下で「ふかふか」言っている始末。
 そこで四男が立ち上がる。もちろん立ちっぱなしではあるが、ともかく立ち上がった。
「キャッセル兄!」
 叫ぶタウトライバに振り向き、
「あれ? もしかして、まずいこと言った?」
 いつもの台詞を告げた。
 周囲が凍り付いていることも、困惑していることもキャッセルには解らない。仕事であれば教えられたとおりにきっちりとこなすが、弟妹を肩車した際の感触というのは、知識書には存在しない
「それはもう、破壊的というか、破滅的というか。タバイ兄の胃が!」
「何時もじゃないか」
 そしていつも通りに、胃を押さえたタバイが、もう片方の腕でキャッセルの口の辺りを押さえて、
「先に失礼いたします、デウデシオン兄」
「……ああ。養生しろタバイ」
 ”きんた……”や”ふか! ふか!”とまだ喋り足りないと、押さえられた状態でも必死に喋っているキャッセルを連れて執務室をあとにした。
 残された兄弟たちは互いに視線を合わせずに、そして絶対にデウデシオンから視線を逸らしてどうしたものか? と考える。
―― この言い様のない空気をどうしたらいいのか? ――
 やはり執務室にいるデウデシオンに次ぐ年長者であるタウトライバが動いた。彼が動くとロクなことにならないのだが、彼以外が動いたとしても結末は変わらなかったはずだ。
「お試しになってください! デウデシオン兄!」
 タウトライバの叫び声に、兄弟たちは顔を見合わせて頷き、アウロハニアとシャムシャントがザウディンダルを抱きかかえて、それ以外の兄弟たちはデウデシオンを押さえにはいった。
「や、やめて! あああ!」
 デウデシオンも結わえた髪を、帝国宰相として見栄えするくらいの装飾品で飾っているので、それが痛くては大変だろうと、タウトライバがデウデシオンの髪ごとそれらをむしり取る。
 そして取り敢えずデウデシオンに肩車されている形となったザウディンダルに、
「わーい、お兄ちゃんだよ」
「わーい、弟ちゃんだよ」
「手を振って!」
「はい、こっちだよ!」
 兄弟みんなで手を振り出した。ここで済んでいたら良かったのかもしれないが、混乱した彼らは更に進化した。
「でも帝国宰相は、どちらかというと俯せで寝られますよね。ということは、顔に枕があたるわけですから……」
 ”息子”の発言により、
「では前に!」
「お顔の前に」
「いざゆかん!」
「枕よ! 枕よ!」
 兄弟たちは再度ザウディンダルを動かし始めた。
 一人”おろおろ”しているセルトニアードと、混乱している兄弟たち。兄の顔に跨る形になりそうで恥ずかしさに顔を赤くしているザウディンダル。
「やめてくれ! 落ち着いてくれよ!」
 ザウディンダルの叫びは届かなかったが”人生の虚無感”を味わっていたデウデシオンが立ち直り、ザウディンダルを片手で押さえたまま他の兄弟たちをなぎ払い、執務室から叩きだした。
「お前ら! すこし落ちつかんか! 馬鹿者共が! 頭冷やしてこい!」
 騒いでいた弟たちは”退出の好機!”と挨拶もせずに執務室から逃げ出し、セルトニアードが最後に会釈をして扉を閉めた。
 デウデシオンとザウディンダルだけになった執務室は、先程とはまた違う空気となり、無言のまま。
「じゃあ、俺も……」
 逃げそびれたザウディンダルも肩から降りようとしたのだが、その言葉を無視しデウデシオンは早足で「愛と言う名の牢獄」へとつき進み、ザウディンダルを放り込んだ。
「兄貴?」
 施錠はせずに、入り口に背を預け話しかける。
「仕事はどうだ?」
「う、うん。まあそれなりに……」
 ザウディンダルは牢屋越しにデウデシオンの背中に額を押しつけた。
「楽しいか?」
「あ、うん」
「そうか。絵描くか?」
「いや。絵なんて描けないし」
「昔はずっと描いていただろう」
「あれは子供の落書きだしさあ……もう何を描いて良いのかわかんねえよ」

―― デウデシオン! 見て見て! 上手? 上手に描けてる? ――

「……不思議なものだな」
「なにが?」
「人間は文字を書くより先に絵を描くのに、何時しか絵が描けなくなる」
「……」
「教えられなくても絵を描くのに、文字を知ると何時しか絵を描かなくなる」
「……」

―― 両性具有であることを教えてていながら、塔に閉じ込めなかった。なにも教えずに、最初から無視して塔に閉じ込めた方が幸せだったのかもしれないな

「なにも知らないほうが……言っても仕方のないことだが」

―― 知らせなかったほうが ……いいや教えたのは、私のエゴだろう。私のいる位置まで、堕ちてほしかった。綺麗なまま塔に封じたら……

「どうした? 兄貴」
 向き直り同じ視線で見つめてくるデウデシオン。
「その牢から出さないといったら、どうする?」

 ザウディンダルはこれ以上ないほどの美しい笑みを浮かべた。

「いいよ」
「……そうか。出ろ」
 デウデシオンは立ち上がり、牢を開く。
「日を改めて最後の確認をする」
「解った」
 ザウディンダルが去った後、ソファーに腰を下ろして目を閉じて頭を数度振る。解けた髪が感情の揺らぎを表しているかのように動く。

―― 私はザウディンダルのことを一回でも”弟としてだけ”で見たことはあったか? 

**********


「申し訳ありません」
「いいや。いつものことで、慣れない私が悪いだけだ」
「いやあ、兄さんは悪くはないでしょう」
 タバイとキャッセルは二人だけで食事をしていた。
 結婚以来、距離をとることを命じられ、従っていたタバイだったが、妻のミスカネイアの提案で、偶にだが二人で食事をとる機会が出来るようになった。
 どうしてそんな時間を? と、ミスカネイアに聞いたタバイだが、正確な答えはもらえず、タバイ自身それほど深く追求したくはなかったこともあり”なんとなく”だが、食事をするようにはなっていた。
「上手になったな」
「マナーですか?」
「ああ。皇君殿下から習っているのか」
「はい。ですが皇君さま”セボリーロストからみれば、我輩のマナーなどマナーにもならんだろうがね”といっているので、マナーの上達などないでしょう。気のせいですよ、兄さん」
 善悪の判断がつかない弟は、世辞とか謙遜とかそのような機微も理解はしない。
 もっとも皇君はキャッセルがそのような性質であることを知って言っているのだから、このように取られることは承知している……要するに悩むだけ、そして神経を使うだけ無駄だということだ。
 それらを解っていても、どうにもならないのが神経を使うということでもあるのだが。
「……まあ、いい」
 ナイフとフォークを上手に使いながら、美味しそうに食べるキャッセルをタバイは凝視しない程度にみつめる。
 幼いころ”感情が解り辛い弟”の感情が、唯一簡単に解る方法が食事で、嬉しそうに食べている姿を見るのが、タバイの喜びの一つだった。それがねじ曲がり、タバイの人生をも大きく変えたが、その頃の幸せと喜びはまだ忘れられないでいる。

―― 兄さん? 何食べてるの? おいしい? おいしい? わーい、くれるの! ありがとう! 兄さん大好き ――

 手元のナイフの輝きと、それに映る自分の顔と共に甦る、直視したくはない過去。
 タバイはある日”小さい庭に捨てられていた死体”を発見して、それを口に運んだ。異形というのは同族食いの性質が強く、死体を見つけると口にしたくなると、後に皇君や帝君に教えられて無理矢理納得したが、あの日のあの出来事はタバイにとって今でも不思議で仕方がなかった。
 庭になぜ死体が放置されていたのか? 見つけたところから、食べ始めるまでの記憶がないこと。食べている途中で初めて意識が戻って驚いたこと。
 驚きはしたが”死体を食べてはいけない”と、誰も教えてくれなかったので、見つけると食べていたこと。
 解らないままに食べていた。ある日その食事中にキャッセルが自分を発見したので、自分が食べて記憶した最も美味しい箇所を千切りキャッセルに渡した。
 それがタバイの同族食いを”止める”切欠となる。
 キャッセルが同族を食べている姿に衝撃を受けたのだ。美味しそうに食べている弟の顔を見ても”嬉しく感じない”
 それがタバイに「これは食べてはいけないのだ」と教えてくれた。食べている姿のおぞましさに、自分の姿も”こうなのだ”と理解して泣いた。

―― 兄さん、泣かないで。もう食べないから、泣かないで。兄さんは食べても良いんだよ。良いよ、私は良いからさ ――

 キャッセルに決して同族や人は食べるなと言い聞かせ、自らもすっぱりと食べることをやめた。たまに自分の中にいる異形が求めている声を聞くがタバイは意思と、あの時のキャッセルの姿を思いだし封じ込めていた。

「兄さん。口に合わないんですか?」
「いや。ちょっと考えごとをしていた」
「兄さん、考えごとしていること多いですよね」
「本当は考えてはいない。考えている気分に浸っているだけだ」
「?」
「食事を続けようか、キャッセル」
「はいはい」

 タバイはこの事は誰にも話していない。
 キャッセルも誰にも言ってはいない。
 兄弟たちは話したところで今までと変わらない態度を取ってくれることは信じているが、妻子に関しては怖くて足がすくむ程。
 許してくれるだろう、認めてくれるだろう、そう信じてはいるが、語って悩ませたくもなかった。墓場までもってゆく。こんな事は些細なことで、悩む必要などない。言う価値もない。自分に言い聞かせてタバイは沈黙を貫いていた。

 食事を終えてレストランを後にし、キャッセルは本部へと戻っていった。別れたタバイはその足で邸には戻らず、神殿へと向かった。
 デウデシオンから渡された《国璽》を持って。


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