ALMOND GWALIOR −149
 ―― 安らげる空気 ―― そういった見えないものを、ヤシャルは初めて感じていた。
 三人はヤシャルを「タウトライバ」の宮へと連れてきた。タバイの家はザウディンダルが休養をとっているのでデウデシオンが訪れる。デウデシオンは皇位継承権を持っているヤシャルに対して強い警戒感を持っているため、近寄らせない方がいいだろうという理由と、
「熱くはありませんか?」
「いいえ。とても気持ちいいです」
 世話できる人が近くにはシダ公爵妃以外いないこと。
 王子の体に触れることができる者は限られている。いくら怪我をしていようとも、触れる許可が与えられてあたえられていない者は触れてはならないのが決まりだ。
 彼らは幸い怪我の自然治癒能力が高いので、放置しておいても死にはしないが、
「傷ももうすぐ消えますよ」
「ありがとう」
「勿体ない言葉を」
 傷口は汚れ、着衣には血液などがつき取り替える必要がある。
 アニエスはそれらを行う事ができる資格を持っていた。彼女は「皇太子殿下の筆頭乳母」の地位を持っている。
 シュスタークの子を育てる乳母たちの頂点に立つのが、アニエスだった。
 この地位を彼女が賜ったのは五年以上も前のことで、当時シュスタークはまだ独身だった。だが独身であっても、皇太子は”近いうち”誕生するだろうと誰もが思っており、また次代皇帝の生育全般に関わることは、皇帝結婚前から決めていてもなんらおかしくはない。
 それで皇太子の筆頭乳母の権限とはなにか? それは「皇太子」に「皇太子の許可無く」触れることの出来ることが上げられる。
 文章にすると物々しいが、一言で表せば”泣いている赤ん坊親王大公を気付いた瞬間に抱きかかえることができる”ということ。
 触れるのに許可の必要な親王大公たちだが、彼女だけは普通に接することが可能なのだ。もちろん「このような乳母」がいるということは、普通の乳母は「泣いても勝手に触ること」はできない。
 数多くの乳母たちに指示を出し、泣いている親王大公皇太子に触れる許可を出すのもアニエスの権限。
 ある種強大な権限を持つ彼女は、息子たちが連れてきたヤシャルの足をレモングラスの香りがする湯で洗い、夫に着替えを用意させ、夫の異父弟のアニアスに夜食の準備を頼んでいた。
 傷口を暖かい湯に浸したガーゼで拭いながら、彼女は怪我については深く追求しなかった。王子というものが、命を狙われる存在であることは誰でも知っている。
 ヤシャルは膝をつき自分の足を洗ってくれる《母親》に、安心を覚えて緊張がすっかりとほぐれる。自室や王城ではなく、他人の家で傷を洗って貰っている時に安らぎ感じることに寂しさを覚えながら。
「お持ちしました!」
「お持ちいたしました!」
「ザイオンレヴィも到着!」
「お待たせしました」
 夜食にしては量の多い料理を運ぶ、アニアスとエルティルザとバルミンセルフィド。そして一人、ザイオンレヴィボート(水陸両用)を押して持って来たハイネルズ。
 部屋に入り、次々と料理を並べてゆく。
 彼女は足を乾いたタオルで拭き、
「持って来たよ。殿下、これで我慢してください」
 夫が持って来た帝国軍制服を着るのを手伝う。
「連絡を入れておきます」
「あの、シダ公爵……」
 タウトライバは無言で頷く。
「ガルディゼロに上手く取り計らってくれるよう依頼しますので。話がつきましたら、自室まで送らせてもらいます。それまでの間、我が家で寛いでください。お前たち、失礼の無いようにな」
 ヤシャルが王国で居場所がないことはタウトライバも知ってはいる。知ってはいるが、タウトライバの権力の根底が「皇帝シュスターク」である以上、「ケシュマリスタ」暫定皇太子に対して取る態度は冷淡。
 それ以外とりようがない。下手に優しさを見せて、こちら側を頼ってくれば様々な問題が起こる。たとえ頼ってこなくても問題は起こる。
 とくにヤシャルは寿命では父親に遠く及ばない。
 だが父親が失った、皇位継承権はある。ヤシャルが王位ではなく皇位を狙う可能性がある。
 本人の意思ではなく”そう取られる”という立場が問題。
 下手にヤシャルに肩入れして、ヤシャル排除の際に巻き込まれることもある。ラティランクレンラセオとしては息子もろともシュスタークの陣容を薄くすることが出来たら、願ってもないことだ。
 それらの恐れがるため本当はすぐに、それこそ怪我が治るまで邸で休ませずに連れて行くほうがよいのだが、自分の息子と大差無い年齢の王子が、夜遅くに一人で出歩き負傷し”治るまで、傷が塞がるまでいさせて欲しい”と懇願する姿に、タウトライバは胸が痛んだ。
 ヤシャルの父親であるラティランクレンラセオとは違い、演技ではない態度。
「アニエス」
「ここは任せておいてください」
「頼んだ」
 息子たちと一緒に、異父弟の料理を頬張っている姿にタウトライバは”揺らいだ”が、それらを振り払い部屋から去った。

―― 私は酷く冷たい人間だな。仕方ない……と理由をつけて

 三人は、
「さすがアニアス叔父様」
 アニアスがヤシャルのために作ってきた料理の”おこぼれ”にあずかっていた。
「美味しいですね。えび料理が多いんですけれども、ヤシャル公爵殿下お好きなんですか?」
 ”おこぼれ”とは言うものの、建前は《甥たちの為》に作った料理であり、たまたま兄の宮にいたヤシャルにお出しした……という体裁を取っていた。
「好きです」
「私も好きですよ。とくに甘エビの素揚げが」
 アニエスは乳母として”皇太子”に自由に触れることができるが、料理を出す権限はない。
 ある程度の地位にある人に料理を出せるとなると、それ相応の立場の者でなくてはらなない。
「あれ、美味しいよね。白ワインに合うよ」
「エルティルザ、一人だけお酒が飲める年齢に達しているからって、大人ぶって!」
「ヤシャル公爵殿下ももうじきお誕生日ですから、お酒飲めるようになりますよね」
「ええ」
「ハイネルズはお酒強そうな顔してるよね」
「顔で決めないでください、バルミンセルフィド。あなたの大好きな”アマデウスさま”ことイデスア公爵殿下は、この顔でお酒飲めないでしょうが」
「いや、ハイネルズ。イデスア公爵殿下はお酒は飲めるが、極度の酒乱の為に飲まないだけだ。以前一度、アジェ伯爵が冗談で飲ませ、大変有意義な時間を過ごしたと言っていたと、キャッセル兄から聞いたよ」
「アジェ副王殿下の有意義な時間で、エヴェドリット王子の極度酒乱って、どう考えてもリスカートーフォン風酒乱。要するに殺戮に至る破壊でしょ?」
「だろうねえ」
「顔も酒乱もまあいいけど、ハイネルズ食べ過ぎだよ。ヤシャル公爵殿下のためのお料理なんだからさ」
「まだまだあるから、心配しなくても大丈夫だよエルティルザ。殿下、お口に合いますか?」
「はい。もちろんです。陛下専属料理人の料理はどれも美味で。陛下主催の食事会の日は、何時も朝から楽しみなんです。特に卿のデザートは絶品です」
 王太子として冊立されているヤシャルは、公式の場に出ることも多く、特にシュスタークは《暫定皇太子》と会話することを好んでいる。
「そのように言っていただけると嬉しいですね」
 その警戒心の無さがシュスタークの短所であり、長所でもある
「あんまり褒めると、今回の進軍中にお菓子持って行きますよ。ヤシャル公爵殿下」
「冗談抜きで持って行きますよ、アニアス叔父さんは」
「ヤシャル公爵殿下も初陣でいらっしゃいましたね。ご武運お祈りしております」
「ありがとう」

 食事を口に運ぶ手が揺るやかになり、話に花を咲かせていると、
「殿下」
 タウトライバが正装に着替えて部屋へとやってきた。
「お帰りですか」
「お帰りですね。もっとお話したかったのですが、残念です」
「では、この水陸両用ザイオンレヴィでお送りいたしますね☆」
 三人がサドルにまたがったところでタウトライバは止めた。父として叔父あるいは伯父として、または帝国の重鎮として、軍の実質的指揮官として、止めざるを得なかった。
「普通に車でお送りするから、それで送って行くと、問題が発生しそうだ」
「大丈夫ですよ。だってライハ公爵殿下が許可して下さったんですから」
「セゼナード公爵殿下が作ってくださったんですよ」
 一言で表すならば《冗談が通じない》
 カルニスタミアやエーダリロクなどは王子として独立しているので、当人同士との会話になるがヤシャルはラティランクレンラセオという存在を抜きにしては会話ができないので避けるべきことだった。
「いや、いいから! お前たちは家にいなさい。バルミンセルフィドとハイネルズは今日は泊まって行きなさい。それでは殿下、どうぞ」
 水陸両用ザイオンレヴィに跨り「えーお送りしたかったのにー」と騒いでいる三人に、ヤシャルは心から感謝した。
「今日はありがとう。もう大丈夫ですから、楽しませてくれてありがとう。無事戻って来たら、乗せてください。そして漕がせてください」
 ヤシャルは三人が落ち込んでいる自分を励ますために騒いでいるのだと勘違い”してくれた”
 もちろんタウトライバは三人が本気で言っていることは知っているが、あえて触れなかった。
「いや、別に励ましとかではなくて、本気とかいて”ほんき”と読みます」
「ご無事をお祈りしております。このザイオンレヴィの元で」
「殿下。セゼナード公爵殿下に依頼して、四人漕ぎに改良してもらいますね☆」
 玄関へと向かうと車用意してきたキャッセルが立っていた。キャッセルは護衛として装甲車を五台と戦闘機四機を遠隔操作してやってきたのだ。
「手数をかけます」
「いいえ」
 キャッセルとタウトライバの間に座わり、ヤシャルは見送りの三人に手を振る。

「行っちゃいましたね」
「生還なさる以前に、気軽にお話できる御方ではないのでね」
「でも四人同時漕ぎにしましょう」
「それはねえ」

 三人は見送りを終えて部屋へと戻り、残り料理を囲みながら《明日は廃墟のどの方角に探検に向かおうか?》と会話に花を咲かせていた。

**********


 キャセルの遠隔操作の車中。誰も口を開くことなく無言であった。
 タウトライバは迂闊にヤシャルと会話すると、同情心が芽生えるだろう自分に警戒し、キャッセルは”ヤシャルそのもの”に興味がないので。
「シダ公爵」
「なんで御座いましょう? 殿下」
「今日はありがとうございました」
「いいえ」
「……お美しく優しい奥様ですね」
「自慢の妻です」
 容姿で言えばヤシャルの生母・ネービレイムス王妃のほうが上だが、母親としての美しさ、妻としての輝きはアニエスのほうが格段に上。
 アニエスが育成に携わるシュスタークの第一子たる”皇太子”
 自分が皇太子の資格を持っていることに対してなにかを感じたことはなかったヤシャルだが、生まれて初めて”皇太子として生まれたかった”と思う程に、アニエスの優しさは傷を包み込みそこから広がっていった。

―― あのように優しい母親が欲しかったな……

 望んだところでどうしようもないことはヤシャルも理解しているが、欲しかった。漠然としている優しい母親が形を持った。それがタウトライバの妻であるアニエス。
「到着しました」
 キャッセルは言い、ドアを開き最初に降りて周囲に注意を払う。
「キャッセルさま」
「キュラ。君のところの王太子殿下をお連れしたよ」
「ありがとうございます。殿下《シダ公爵に軍略を習いにゆくのは結構ですが、誰かに知らせてから向かってくださいね》今回のことは連絡の行き違いということで。シダ公爵、殿下に軍事講義ありがとうございました」
 キュラは理由をつくり、不在を綺麗に取り繕った。
 その取り繕いは完璧で、ヤシャルが叱られることはない。それがヤシャルを凍えさせてもゆく。
「ああ」
「それでは失礼いたします」
 ヤシャルが邸へと入らない間は動くことができないタウトライバとキャッセル。
 息子や甥たち、異父弟や妻と居た時とは全く違う、表情のない表情のタウトライバと、美しいが全く感情がないキャッセルに見送られ、ヤシャルは居場所のない邸へと入った。
 ヤシャルの前を歩くキュラ。ヤシャルはキュラとほとんど話をしたことがない。
「ガルディゼロ」
「なんでございますか? 殿下」
「……」
「キャッセルさまやタウトライバさまが仲が良いから、甥っ子たちも異父兄弟に愛されるんですよ。僕と誰かは仲が悪いんで、期待なんてするだけ無駄。僕はね殿下のご機嫌をうかがう必要ないから。殿下、解ってるんでしょう? 誰もが殿下を見ない理由。殿下が即位なされるならご機嫌をうかがう必要もありますけれどね。お部屋に到着しましたよ。あとは侍女たちに。それでは」

 去ってゆくキュラにヤシャルは掛ける言葉がなかった。

**********


 ヤシャルを送り届けた帰り道、タウトライバとキャッセルは向かいあって座っていた。
「ありがとうございます、キャッセル兄さん」
「いいや。大宮殿に来る用事もあったし」
「……皇君殿下のところですか?」
「うん、お呼ばれしてるの」
「……」
 まさに《成人した男性》であるキャッセルが、誰と付き合おうとタウトライバが口を挟むことではない。とくに皇君は彼らがまだ力無かった頃、随分と世話になった相手でもある。
「泊まるんですか?」
「うん。出撃前、最後のお泊まり」
 関係があることも知っている。それが同意の下であることも理解しているが、タウトライバの感情がそれらを認めない。
 キャッセルに誰とも付き合わないで、一人で生きて欲しいとは思っていないが、その相手が皇君であることが不満だった。誰ならばいいか? と聞かれると、タウトライバは答えることができない。そして誰の名前が挙がっても、否定してしまうだろう自分がいることも気付いていた。兄、とくにキャッセルに対して持っている自分の感情の複雑さ。
 それは恋愛感情などではない。だがその感情はひどく恋愛感情に似ている。
「エルティルザ、上級士官学校に入学するんでしょう? おめでとう」
「……まだ、合格するとは」

―― ジルオーヌ ――

 キャッセルの口から《上級士官学校》という名称が出ると、タウトライバは思い出したくはない出来事が甦ってくる。
「合格するさ」
「そうですね」

―― なんのつもりだ! タウトライバ! 我を殺害して”首席”に ――

「首席じゃなくていいから、エルティルザは学生生活を楽しんでくれたらいいなと思ってますよ」
「そうか。首席じゃなくていいのか」
「ええ首席じゃなくて良いんです」

―― 我に勝てると思ったっ……え? ……あっ……ガーベオルロ…… ――
―― 大丈夫? タウトライバ。ジルオーヌを殺すの? 協力するよ ――
―― あ……あ…… ――
―― ターレセロハイは悲しむかなあ? 父上だよね。ジルオーヌ、君の父上だったよね? ――

 停車し、タウトライバは車から降りる。
「ここからは歩いて帰ってね、タウトライバ」
「はい」
「お待たせしました、皇君さま」
「タウトライバとドライブしてきたのかい? キャッセル」
「違いますよ。ヤシャル公爵殿下をケスヴァーンターン区画に送り届けてきたんです」
「そうなのかい? 面倒を掛けたね」
 車に乗り込み去ってゆくキャッセルと皇君を見送り、義足の不調かと思うほどに重い足でタウトライバは帰宅した。


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