ALMOND GWALIOR −148
 皇君宮の外れにロガがいるとは思ってもいなかったカルニスタミアは呆然として座ったままロガを見ている。カルニスタミアに気付いたロガは、
「カルさ……カルニスタミア王子。どうしたんですか! その怪我!」
 その怪我に驚いて駆け寄ってきた。 “大丈夫ですか!” と声を上げそうになったロガに、口の前に人差し指をあて、
「お静かにお願いいたします」
「あ、はい……あの……怪我大丈夫ですか?」
 ショールを外して手当てをしようとしたロガを制し、
「ここに居た事と怪我をしていた事は内密にしておいて欲しい」
「内密?」
「誰にも言わないでいただきたい。陛下であっても」
「あの……」
 ショールを抱きしめたまま不安を露わにするロガに、
「頼む、と理由も告げず依頼したところで納得はしないか。実はなこの怪我は陛下のご命令で調べ物をしている際に負ったものだ。これが知れれば陛下が気になされるだろうから。あとショールはありがたいが、貴方の持ち物が紛失しようものなら誰かが “いらがらせ” をしたに違いないと大捜索が行われてしまう。そこから足がつくと困るのだ」
 カルニスタミアは心配するなと表情を緩め、血に濡れていない方の手でロガの前髪を軽く触れる。
「解りました、でも怪我の治療を」
「着衣に血などついたら直ぐにばれるから、少し離れていてくれないか?」
「はい……」
 薄暗い部屋で心配そうにしているロガに、カルニスタミアは何故ここに居るのかを尋ねた。
「ナイトオリバルド様……じゃなくて、陛下がこちらの方に、用があるそうでついて来ました。でも《ふそく》の事態になったから、ちょっとこの部屋の隣で待って欲しいって言われて、待ってました」
「そうか。……何か困ったことなどはありませんか?」
 カルニスタミアの言葉に少し躊躇ロガは、宮殿に来てから久しく人に見せていなかった笑顔で答えた。
「今のところは平気です。何か困ったことがあったら……陛下に一番にお知らせしますので」
「そうですか。良かった」
 皇帝とロガの仲が良いことを確認し少しだけ寂しくもあったが、カルニスタミアも笑顔で答えた。それから小声で少々会話をしていると、この部屋に向かってくる足音があった。皇帝の足音ではないことに気付き、見つかると困るがこの場に来てロガに危害を加えても困るとカルニスタミアはカーテンの陰に隠れた。
 足音の主はヤシャル公爵ケルシェンタマイアルス。
 現ケシュマリスタ王の第一子で皇位継承権暫定第一位を持つ十二歳になる少年。だがどれ程身分が高くても、この場にいる理由にはならない。
 “何故此処にヤシャルが?”
 カルニスタミアはヤシャル公爵に気付かれないように気配を消し、動きに細心の注意を払う。
「誰ですか?」
「初めてお目にかかります后殿下。私はケスヴァーンターン公爵の第一子ケルシェンタマイアルスと申します……この場に参りましたのは……その……父には注意してください! 父は世間一般で言われているような無欲な善王ではありません! 他の王族達は気付いていますが……で、でも陛下にはできれば……」
「注意とは具体的には何をすればいいのですか? 私が出来る範囲の注意で済むのでしたら陛下には言いませんよ」
「出来る限り父の配下に気を許さないでください。ガルディゼロも含めてです。后殿下が気を許していいのは陛下の異父にあたる庶子の系譜だけです、他の王族も信用しないでください……もちろん私のことも」
 泣きそうな顔をして頭を下げたヤシャルにロガは、
「でもそれですと、今言われたことも信用できなくなってしまいます」
 どうしたものか? と聞き返す。
「そうですね……上手く説明できない自分に怒りすら覚えます……信じてくれなくても良いです、私も出来る範囲で努力しますので……お願いですから早く陛下の御子を生んでください! 我侭なのは承知です。でも早くしないと……弟も私も父に殺されます。失礼いたします!」
 去って行ったヤシャルを見送った後にロガは振り返り、
「あの人がお父さんに殺されるって、どういう事ですか? カルニスタミア王子」
 カーテンの陰から出たカルニスタミアは、ヤシャル公爵が次ぎの皇帝になる権利を持っていることを告げ、
「陛下はラティラン……ケシュマリスタ王を信頼しているし、実際証拠もない。ケシュマリスタ王が皇帝になる為に除外しなくてはならないのは陛下と息子達だ。陛下を殺害することは帝国の現状からして無いが、息子はな……だが、息子が皇位を狙っている父の差し金でないとも言い切れぬ。あのような言い方をして后殿下が儂に対し疑いを持つように差し向けたとも邪推できる。……儂のこと信じてくれと言っても良いか」
「はい」
「だが気をつけることに越した事は無い。身内なのじゃが儂の兄であるアルカルターヴァ公爵はケスヴァーンターン公爵と共謀している節があるので、あまり信用せん方が良い。儂は兄公爵とは不仲じゃからな。ま、不仲かどうかを確かめたくば他のものに聞いてみてくれ。儂はそろそろ戻る……儂のことなど信じずとも良い。陛下と帝国宰相は絶対に貴方の味方だ。迷う時はその二人の言葉を信じてくれ」
「ロガ? 何処だ? 隠れているのか?」
 隣の部屋から皇帝が呼ぶ声にロガは駆け出し、扉に手をかけたところで振り返り、
「カルさんのことも信頼してます! ナイトオリバルド様、御用は終わりましたか」
 扉を少しだけ開き身を滑らせて皇帝の下へと戻って行った。

 カルニスタミアは何とか人に気付かれぬように部屋へと戻った。

 その頃兄であるカレンティンシスの機嫌はこれ以上ない程に斜めだった。
「カルニスタミアはまだ戻らぬのか?」
 陛下の初陣の前に一度領地もどる際に《やっと両性具有と別れた実弟》を同行させてやろうとしていた兄は、時間までに戻ってこない弟に腹を立てていた。
「はい」
「全く何をしているのだ」
 機動装甲の最終確認にそれ程時間がかからない事を技術部門のトップにいるカレンティンシスは知っている。これ程時間が掛かるはずは無い、戻ってこないのは同行が嫌で何処かに隠れているのだと思うと怒りが沸々と湧き出してきた。
 もしかしたらまだ調整中では? 家臣達がエーダリロクに連絡を入れるが[とっくの昔に終わったよ。ちゃんと出立予定時刻に間に合うように終わらせてるぜ]と家臣達にしてみれば冷たい返事が返ってきただけ。
 実際は怪我をして何処かで休んでいるのだろうということは解っているエーダリロクだが、カルニスタミアを使って巴旦杏の塔を調べていましたとはとても言えない。特にカレンティンシスに対しては。
「先に戻りましょうか?」
「……早く探し出して来い! どいつも、こいつも!」
 ヒステリー王の名に相応しい叫び声を上げて、とっとと探し出せと家臣を部屋から追い出した。
「落ち着いてくださいませ、テルロバールノル王」
 側近のローグ公爵が宥めるが、出立予定時間を無視されたカレンティンシスの怒りは収まらないで、怒りながら部屋の中を歩き回っていた。
「まだ居たのか」
 そこに戻ってきたカルニスタミアが呆れたような声を上げる。
「何をしておるカルニスタミア! ……カルニスタミア? カルニスタミア! その怪我はどうしたのだ?」
 反射的にカルニスタミアの声に反応し、怒鳴りつけたカレティンシスだが怪我を見て息を飲む。
「喋るのも億劫だ。放って置いてくれ……」
 もう出発していてゆっくり休めると思ったのにと、ソファーに腰を下ろし溜息を付くカルニスタミアに近寄ってきて腕を掴み立ち上がらせようとするが、
「早く治療しろ」
「要らん。放っておいてくれと言っておるだろが……喋らせるな、首が切れているのだから」
 カルニスタミアは拒否する。
「だから早く治せと!」
「やかましい。治せぬ理由があることくらい察しろ」
「貴様! 誰に向かって口をきいておるのか解っておるのか」
「ああ……解っている。解っているから先に戻れ。傷が落ち着いたら後を追う。放っておいてくれ」
 背もたれに体を預けたカルニスタミアの傍に、
「不要かもしれませんが」
 ローグ公爵が簡易治療キットと水を置き、王に王弟をこのままにして戻る方が良いと促す。
 何一つ理由を言わない弟に苛立ちながらもカレンティンシスは黙って部屋を出てた。
「死んでしまったりはせぬだろうか?」
「ライハ公爵の再生能力はエヴェドリットでも驚くほど。ゆっくりと休まれれば明後日にでも帝星を発たれるでしょう」

「しかし一体何をしてあのような傷を負ったのだ……あの馬鹿」

**********


 一人でロガに遭うことに成功したヤシャルは、人目に付かないように皇君宮を歩き、早く自室へ戻ろうとしていた。
 ヤシャルがロガに会うことが出来たのは完全な偶然だった。《王になれない王太子》は、大宮殿のケシュマリスタ区画にいても居心地が悪くて仕方ない。
 居場所というものがない彼は、大宮殿にいるとき大叔父皇君の居住区に無断で訪れて一人で時間を潰していた。
 今日も一人で片隅で初陣に対する恐怖を感じつつ、何をして良いのか全く解らない自分の未来から目を背けていた。そこにシュスタークとロガが歩いてゆく姿を見て、後を付けていった。ロガとシュスタークが分かれて、ロガが別の部屋へと入る。
 その姿を見て、ヤシャルはずっと考えていたことを告げるために部屋へとはいった。
 ヤシャルはその部屋にカルニスタミアがいたことは気付かなかった。だがヤシャルは決して気配に鈍いわけではない。カルニスタミアが巧妙なだけなのだ。
 事実ヤシャルはいま、自分の進もうとしていた道の先に気配を感じて動きを止め、必死に気配を消している。
 皇君が近付いてきたのだ。
 皇君だけであれば”見逃してくれる”だろうが、皇君が何者かと共に歩きながら話をしている。その会話の断片をに動けなくなった。
「なぜ攻撃なさったのですか?」
 近付いてきた皇君と、爽やかながら甘い香り。
「知りたいか? ザンダマイアス、いいやオリヴィアストル」
 皇君を”ザンダマイアス”と呼ぶ、低い女性の声。その声の主がディブレシアであること、ヤシャルは知らない。

―― 大叔父上がザンダマイアス……

 喉の奥に絡まる得体の知れない澱。そして噴き出す汗。
 逃げなくてはならないと思いつつも、体は動いてくれない。その体に”動け!”と必死に指示を出すと、意図しない”本体”を危機におとしいれる動きをとった。大きく腕が動き隠れていた葉に触れてしまい、大きな音を上げてしまったのだ。
「狩れ」
 ディブレシアの命令に
「お待ちください。どれどれ……」
 皇君はケシュマリスタ特有の、子供が無邪気に残酷なことをする時と同じような笑い顔を浮かべながら従う。
 ヤシャルはその言葉に逃げようと、地面を蹴る。蹴るよりも少し早くに視界の端に現れた、白く鋭角的な物。
―― 脊柱骨尾変異体!
 鋭い骨が脹ら脛を切り裂く感触はあったが、
―― 立ち止まったら殺される!
 そう判断して走る。
 脊柱骨尾変異体は個体により長さは”まちまち”だが《最大最強》と呼ばれた過去の人物ケシュマリスタ王マルティルディでも長さは約1500m。いくら強くとも皇君はそれ以下だろうとヤシャルは考え走った。
―― 2km以上離れれば! 離れれば!
「うわああああ! うあああああ!」
 意味不明な叫びを上げながら走り続ける。
 誰に助けを求めて良いのか解らないヤシャルは”助けて”とは叫べずに、奇声を上げて走り続ける。
「……あ」
「あれ? あそこに見えるはヤシャル公爵殿下」
「追われてるような感じしない?」
 必死の形相で走るヤシャルと、帰宅途中のエルティルザ、バルミンセルフィド、ハイネルズが遭遇し、
「行ってみよう!」
 何事かと三人は駆け寄った。
「どうしました? 殿下!」
「ヤシャル公爵殿下」
 三人の顔を見たヤシャルは、
「う……あああああ……」
 崩れ落ちて泣き出す。それは緊張の糸が切れて崩れ落ちたのだが、三人には理由が解らない。むしろ違う理由だろうと、二人は解釈した。
「ちょ! ハイネルズ、止めなよ」
「怖い顔が余計怖くなってるでしょうが!」
「あの、ヤシャル公爵殿下。泣かれた理由は私の顔が怖いせいですか?」
 泣き崩れていたヤシャルは、ハイネルズの言葉に顔を上げて、
「うわああああ!」
 涙も止まるほどに驚いた。

 なにせ目の前にはライトを顎の下からあてているハイネルズ。

「だから止めなさいって! 顔怖いんだから! 普通でも怖いのに、なんでそんなオプションつけるの!」
「闇夜に浮かぶリスカートーフォンなんて、怖すぎだよ。労災だよ、人災だよ、天災だよ、リスカートーフォン災(戦災)だよ」
「失礼な。あれ? ヤシャル公爵殿下、お怪我なさってます?」

**********


「申し訳ございません、ティアランゼさま。取り逃がしてしまいました。我輩にはあれが精一杯でした」
 言いながら皇君はディブレシアに、2m程の先端部分が三角錐のようになっている白骨の尾を見せる。尾の先端には確かに攻撃した証である、血が僅かにこびり付いていた。
「誰だ?」
「顔は見ませんでしたが、ヤシャルかもしれませんな。違うかも知れませんが」
「しかたあるまい。それでお前の質問に答えてやろう。余がカルニスタミアに攻撃した理由を」
「ありがたき」
「藍凪の少女の流出した理由と同じだ。あれを流出させた人物と同じ力を持っているのではないかと疑ったのだが、どうやら違ったようだな」
 そうは言ったディブレシアだが、その横顔はまだカルニスタミアのことを疑っているのは明かだった。
「なるほど」
「それと、用意は出来ているか? ザンダマイアス」
「薬などはもうすぐ整います」
「もう一つ用意せよ」
「なんなりと命じてください」
「ザンダマイアスの幾つかを”キャッセル似”にしろ。できるな? ザンダマイアス」
「お時間をいただければ、ある程度は似たものを作れます」
 それだけ言って、二人は途中で別れる。
 ”キャッセル”を迎えにゆく皇君の後ろ姿を見ながら、ディブレシアは微笑む。
 ディブレシアは《暗示》という能力を持つ。
 シュスタークに「神殿の隣にあるシリンダーを見ないように」させているのもこの力。
 皇君はディブレシアの暗示に対し、非常に強い抵抗力を持っている。以前は持っていなかったのだが、ある人物から抵抗力を受け継いだ。
 帝君アメ=アヒニアン。彼はディブレシアの暗示に抵抗できる”耳”を持っていた。その能力が備わっている内耳と中耳を皇君は”形見分け”として貰った。
 異形は他の異形の能力を身に付けることが出来るため、死ぬ間際に帝君が皇君に持ちかけ、皇君は帝君の死後すぐに内耳と中耳を引き抜き、自らの物をも引き抜き交換移植した。
 耳の内部を抜いたあと、カモフラージュのために帝君の遺書を耳朶に隠すという細工を施して。ディブレシアは皇君が帝君の中耳と内耳を受け継いだことは知らない。
 知りはしないが、ディブレシアにとっては然程問題ではなかった。
 ディブレシアは皇君が本気で自らに従っているなど思っていない。自らの暗示能力に自信はあるが、皇君が異形であることから、ある程度抵抗を持っているであろうことも予測している。

「むしろ余に反抗的でなければ、この計画は完成せぬ。もちろん、従順であってもかまいはせぬがなあ」

 暗闇に輝く金の瞳。脳裏に甦る、藻掻き苦しんで死んでいった男たちを思い出し、ディブレシアは上唇を舌で舐め、過去の苦痛を味わう。

「余はそろそろ新しい苦痛と悦楽が欲しいぞ、デウデシオン」


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