ALMOND GWALIOR −134
 再び人気のなくなった扉の前で、目を閉じてまた暫く待つ。
 その「人物」が来るという確証はなかったが、つかみ所のない事態の片鱗が”コンタクト”を獲ってくるとしたら、今しかないだろうと待っていたのだ。
「やあ、ゼフォン」
「皇君」
 神殿の警備責任者は、いつもと変わらず笑顔で近付いてきた。
 エーダリロクの隣に立ち、扉を見上げる。
「大きい扉だよねえ」
「そうですね。高さ833メートル、幅659.4メートル。でも扉の厚さは意外と薄くて28メートルでしたか」
「その通りだよ、ゼフォン」
 皇君はそう言い、エーダリロクに向き直る。
 エーダリロクも合わせて向き直り、そしてゆっくりと膝をつき頭を下げた。
「なんのつもりだね? ゼフォン。君が頭を下げる相手は皇帝陛下と兄王だけであろう? まして”そこ”にいる御方は兄王にも頭は下げまい」
「僭主が攻めてきた時に、守っていただきたい」
 硬い床で跳ね返った願いに、皇君は”エーダリロク”を見る。
「”誰”が抜けているけれども、メーバリベユ侯爵ナサニエルパウダで良いのかね?」
「はい」
 躊躇わず、そして先程の願いよりもはっきりとした声が人気のない前庭に響き渡った。
「ロヴィニア相手では、無料で引き受けないのが礼儀だから。では報酬を前払いでいただこう。ただし金ではない……立ちなさい、エーダリロク」
 わざと音を立てて、動きを飾る。王子らしくないと言われている王子とは思えない動き。
 流れる銀髪と、取引に望む強い眼差しに皇君は笑う。
「なにを?」
「我輩にザロナティオンと話をさせてくれ。もちろん、君は眠っていてくれたまえ」
「一対一ですか。私は構いませんし……帝王も良いと言われました。それでは失礼いたします」
 鋭い眼差しが閉じられて、すぐに再び目蓋が開く。
 目の色が変わるわけでも、表情が変わるわけでもないが、
「全く違いますな。陛下を押しとどめられた日にも感じましたが、全く違いますな。成人したエーダリロクの姿はとても良くお似合いです、帝王ザロナティオン。あるいは銀狂陛下」
 それは帝王だった。
 王子であるエーダリロクとは全く違い、皇君が自らの内側に飼う異形の人格とも違う、銀の狂気。
「好きに呼ぶ事を許してやろう。それで話とはなんだ? ”ザンダマイアス”」
 ”ザンダマイアス”
 そう呼ばれた皇君はゆっくりと頷き、何よりも欲していたことを尋ねた。
「”藍凪の少女”という歌の全てを教えていただきたい」

―― 皇君はこの歌が知りたくて「従った」と言っても過言ではない ――

 かつて巴旦杏の塔に閉じ込められていた”リュバリエリュシュス”という”男王”が帝后グラディウスのために作った歌。
「”藍凪の少女”だと……」
 塔の中の住人であった彼女が作った歌で《塔と共に失われた》とされているのだが、
「あなたはご存じのはずです」
 欠片が皇君のもとに存在し、全てはザロナティオンの記憶にある。
「良かろう。それでエーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルの希望を聞き入れるのだな」
「はい」
 皇君は平伏し、恭順の意を示す。

 藍凪の少女の欠片が存在する場所は、ザロナティオンと繋がっていることを皇君は知った。ザロナティオンは皇帝であり、ザロナティオンに伝えたと考えられるビシュミエラも皇帝の座に就いた。
 となれば、それを求める時”皇帝”に従うのがもっとも確実。

**********


 余が皇帝に即位した時に、
「陛下! 陛下!」
 カウタマロリオオレトが、
「どうしても巴旦杏の塔へとゆきたいと、それも余と共に行きたい申すのだな」
「うん!」
 壊れながらも、必死に意志を伝えてきた。
 皇帝のみに立ち入れる場所ゆえに、余が皇帝になるのを待っていたと。
「良かろう」
 美しきケシュマリスタ。完全なるケスヴァーンターンの名を継ぐ、余にとっての「我が永遠の友」の望みを聞き入れて、驢馬車を仕立てさせた。
 天井のないそれに乗り、十頭の驢馬にゆっくりと引かせて巴旦杏の塔へと向かう。
 道すがらカウタマロリオオレトは、
「ろばにのったしょうじょが〜もりを〜みどりのもりを〜」
 笑顔で”海のように深く美しい声”で歌い出した。
 好きなだけ歌わせて、歌い終わった時に余は尋ねる。
「その歌はなんだ?」
「ふふームームー知らない?」
「ああ、知らん」
 歌詞からすると”藍凪の少女”であろうが、正確なことは知らない。その歌は”暗黒時代以前の塔”にあった物で、塔の消失とともに失われたと言われていたが、ケシュマリスタに残っており復元された。
 ビシュミエラが生き延びたのだから、あり得ることであろう。

―― 復元した時期は、随分と後になってから。それこそ百年以上過ぎてから突如復元された ――

「これね、藍凪の少女って言うんだよ」
「そうか。幸せな歌だな」
「そうだね……」

 カウタマロリオオレトは泣きながら余の胸に顔を押しつけた。言いたいことは解っている、望んでいることも解っている。

 だがしばし待て。この四十五代皇帝に即位したサフォント、必ずやお前の望むとおりにしてやるから、いまは待て、真祖の赤たる余が必ずや成し遂げる。

*********  


「以上だ」
 ザロナティオンの歌を聴き、皇君が同じように歌い返す。
「さすがケシュマリスタ。一度聞くだけで完全に覚えることができるようだな」
「お褒めにあずかりまして光栄にございます」
 ザロナティオンは皇君に対し”藍凪の少女”について尋ねたい気持ちはあったが、それは飲み込んだ。
 ザロナティオンは自分は”過去を再生する者”であって、自分が知りたかったことを”現在”質問してはいけないことを理解していた。
 エーダリロクの知的欲求、そして知ったことを共有することも、死んだ自分には過ぎたことだとは思っている。思ってはいるが、死に行く最中に望んだ”これからバオフォウラーが作る未来”を観たいという欲求には勝てないでいた。
 自分と彼女、そして自分であって自分ではないクローンが築いた未来が、どこか歪であること。それに対し”自らとして”責任を取れない自分が手を出していいのか? 悩みながらも、中で楽しげに話しかけてくる、エーダリロクと共に歩んでいる。
「銀狂陛下」
 だが線を引かねばならない箇所はある。それが「自ら直接”今を生きているもの”に質問しないこと」現在における疑問はもどかしいが、エーダリロクのを通して行うのがザロナティオンの縛め。
「なんだ」
「もう一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「答えられるものならば、答えてやろう」
「それでは ――」


 エーダリロクは立ったまま目を覚ました。


「やあ、ゼフォン」
「はあ、皇君」
 ”この感覚慣れないよな”と思いつつ、いつもと変わらない皇君に頭を下げる。
「ありがとう。君の願いに沿うように努力させてもらうよ」
 エーダリロクが皇君の宮も召使いやキャッセル、そしてディブレシアと思しき人物に触れないのは、メーバリベユ侯爵のことを依頼したかった為だ。
 皇君はエーダリロクがそれらの事実を知っている上で、知らぬふりをしていることも解っている。
「このことは、他言しないでください」
「解ったよ」
 皇君は背を向けて神殿前から立ち去ろうとしたのだが、
「どう考えても我輩の方が貰いすぎだね。ゼフォン、陛下が神殿より戻られたら、神殿内部に保存されているはずの《第三十六代クローン》について尋ねてみるといいよ。それではね」
 遠離る足音と、エーダリロクの中にある空白。
 取引内容に興味がないわけではないが、これは聞かないのが筋だろうとエーダリロクは沈黙を保った。

「待たせたな、エーダリロク」
「いいえ、いいえ。全く」
 むしろ忙しかったです、そう呟きながら皇帝を出迎えた。
 皇帝は内部にある自らのクローンの状態を確認し、
「余にもしも何かあった場合は、やはり……」
 悩み、首を傾げていた。
「陛下。お聞きしたいのですが」
 ディブレシアのクローンの存在について、神殿に入ったシュスタークに”ついで”を装って調べて貰わなかったのは、皇君の耳に入ることを恐れてのこと。
「なんだ? エーダリロク」
 だが”尋ねてみるといい”と言われたからには、聞くべきだろうと。
「隣のシリンダーに眠っている筈のディブレシア帝は如何でしたか?」

 ディブレシアは自死したのであって、寿命はまだ尽きていない。核に傷もつかないシリンダーの中にいる「クローン」は、いまだ生きている。
 寿命が尽きたクローンの入っているシリンダーは光が消えるが、寿命が尽きていないクローンが収容されているシリンダーは、神殿内で唯一光りを発する存在なので嫌でも目に入る。

「……」
「どうなさいました? 陛下」
「あ……そうだったな。ディブレシアは余の隣に保管されておるのだったな。ははは《全く気付かなかった》そうか、隣を見ればディブレシアの姿は解ったのか……ああ、そうだな」

《あのシリンダー配置では、意図して見ないようにしない限り、目に入らない筈がない!》
―― え? そんなに近くにあるのか?

 エーダリロクは少々離れた場所にあるものだと思っていたのだが、二人の皇帝の答えに愕然とし、そしてシュスタークを見つめた。


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