ALMOND GWALIOR −132
―― とても美しい声だったよ ――

 デウデシオンがザウディンダルを監禁した部屋へ踏み込むと、
「おや? 血相を変えてどうしたのかね?」
 皇君が庭を眺めながらワインを傾けていた。
 返事をせずにベッドに横たわるザウディンダルに近寄り、首筋に触れて脈をとり、口元に耳を近づけて呼吸を聞き、安堵の息を吐き出したあとに、ベッドから少し離れたところで景色を眺めている皇君へと向き直る。
「皇君、皇婿は?」
「セボリーロストは別室で休ませているよ。ストレスで床に崩れ落ちていたのでね。やっぱり、自らの手で人を殺すのは辛いそうだ」
「人ではない、両性具有だ」
 デウデシオンの言葉にグラスをテーブルに置いて立ち上がり、やや色の薄い柔らかな金髪の隙間から、のぞくように見つめ、そして悪戯でもするかのように笑った。
 ”悪巧みをするよ”と物語るような笑顔。ケシュマリスタの特徴とも言われるその笑顔を浮かべたまま、本の栞にしていた薄い記録媒体を取り出して、デウデシオンの眼前に突きつける。
「そうだね、人の死ぬ様ではないね。だからあげるよ」
「なんだ?」
「両性具有が焼き殺される様だよ」
「……そうか」
 デウデシオンは怒るでもなく受け取り、皇君に去るよう依頼する。
 手の中にある記録媒体は普段のデウデシオンならば、力を込めれば直ぐに壊すこともできるが、どうしても力が入らない。
「グラスはそのままで良いかね? ダグルフェルドは君の姉が迎えに来て部屋に下がったので呼びづらくてね」
「そのままで良い」
「そうか」
 皇君は眠っているザウディンダルに近寄り、細い指が艶やかで、甘やかさを感じさせる黒髪を撫でてから、庭へと面している窓へと向かった。
「デウデシオン」
「なんだ?」
「先代陛下は見た目美しい女性だった。その事は君も否定しないだろう?」
「ああ、否定はしない」
 ディブレシアという女の容姿を否定することはデウデシオンには出来ず、それにより存在を消し去ることができないのだ。
 行為の醜悪さや性格の異常性も、ディブレシアの中で存在を見せようとする時、それは美しさを増す”アイテムの一つ”でしかなくなる。異常な行為は全て名を失い、残虐である個性を剥ぎ取られて、彼女の美に隷属する。
 猟奇や残酷、暴虐……どれか一つがディブレシアの美しさを凌駕してたら、デウデシオンは僅かだが楽になることができた。
 だがディブレシアの美しさはデウデシオンを離さない。
「先代陛下は自分よりも美しいところのある女が嫌いだった。だが先代陛下に勝る美しさを持っていた女性はいなかった。先代陛下は形無い者は認めはしない人だったが、ただ一つだけ形無いもので認めたものがあった。それが”声”だった。クレメッシェルファイラ、彼女であり彼は陛下が唯一敗北するものを持っていた」
 喉を潰されて声を失っていたクレメッシェルファイラ。
「男王の声は美しいというからな」
 デウデシオンが”男王の声は例外なく美しい”と知ったのは、彼女を失ったずっと後で、彼女の声も美しかったのだろうと想うことはあった。

―― その声で自分の名を呼んでもらえたなら、どんな気持ちになっただろうか ――

 まさかそれがディブレシアの嫉妬の対象になっていたとは、今の今まで思いもしなかった。
「ああ、美しかったよ。怯えた時の声も、助けを求める時の声も。悲鳴や苦痛を味わうことを、非常に好む先代陛下が潰すことを指示するほどに、美しい声だった」
 皇君は窓に手をかけて押し開き、テラスへと出る。
 開かれた窓から入り込んできた風は、室内に止まっていた酒の香りを外へと連れだし、同時に冷たさを残してゆく。
「さて、我輩はセボリーロストを連れて部屋へと戻る。ザウディンダルには仮死薬を与えたそうだ。蘇生薬は枕元にあるから投与してくれたまえ。そうそう処刑される前に、彼女にして彼の喉は治されているよ。じゃあね」
 デウデシオンは投げ捨てることも、握り潰すこともできない薄く半透明で姿が映り込んでしまう記録媒体に視線を降ろして、自らの表情を目にして頭を振り、ハンカチを取り出し包み、胸元へとしまい込む。
 そして蘇生薬を投与しなければ決して目を覚まさないザウディンダルをシーツごと抱き締めて、デウデシオンは泣いた。

**********


 ダグルフェルド子爵と、フォウレイト侯爵は無言のまま、デウデシオンが破壊した部屋を片付けていた。
 拳で破壊されてはげ落ちてしまった壁に水浸しの床。切り落とされたシャンデリア。
「カーンセヌム。明日に差し支えるからもう寝なさい」
 フォウレイト侯爵に振り返った”父”は、何事も無いような表情をして話しかけてくる。
「いいえ。一晩、二晩の徹夜くらい平気です」
 思わず目を逸らしてしまった。
 ”変わらない”態度に、父がこの行為に慣れてしまっていることと、帝国宰相と呼ばれる弟が、頻繁にこのような行動を取っていることを知ってしまった彼女の心の内は穏やかではなく、同時に近衛兵団団長が言いたかったことも、全てとまではいかないが理解した。


「父の傍に……ですか?」
「はい。そして”あなたの育て方は間違っていない”と言っていただければ」
「……」
「私たちでは駄目なのです。お願いします……育ての親が苦しんでいる時に何もできない私は、本当に情けない男ですが、陛下のお側を離れるわけにはいかないのです。”なにがあろうとも”」


 かけるべき言葉をみつけられず、だが居るだけでは何の解決にもならないだろうと思いながら、水を止めて清掃用機器を動かす。
 ダグルフェルド子爵は機器に背を向けて、自らの手で破片を拾い集め続けていた。
 父が生きていてくれたことは、掛け値なく嬉しかったが、次々と明かされる事実を前に彼女自身感情を持て余していた。
 様々な過去の事例を紐解いても、自らと父の関係を潤滑にするものはなかった。
「カーンセヌム」
「はい」
「……なんでもない」
「そうですか」
 フォウレイト侯爵は父を幸せにしたいと考え、その近道が弟であるデウデシオンの幸せであることは解った。到達するべき場所は解っている、道も解っている、その道を歩むのが困難。近道は険しくく、到着地点も見えない。
 フォウレイト侯爵は背後から無言で抱きついた。腰に回した手に父は手を触れて、
「もう少ししたら休もう、カーンセヌム」
 頷く。
 ”生きていたら父としたかったこと”は多数あるが”生きている父にできること”はこれが精一杯だった。

*********


 鳥が鳴いたような声がして、ロガは目を覚ました。
 青紫の足元灯に照らされた室内と、隣に眠るシュスターク。
 いつの間にか戻って来て、自分を抱き締めるようにして眠っているシュスタークの腕からすり抜けて、ベッドに身を起こす。
 一人の不寝番が自らの顔のを足元灯と同じ光度の携帯用ライトで照らし、ロガと視線を合わせる。
 ”何事もない”ことを表すように、ロガは首を振る。
 不寝番はライトを消し、彼らは再び寝室の一部となった。
 枕元に置かれているスライスされたレモンが入った水差しから、グラスに水を注ぎ一口含む。
 眠くないわけではないが、眠りたくもない。不思議な感情が暗がりからロガを抱く。
 墓地で一人暮らしをしていた時には、知らなかった感触。
 部屋は広く室温も湿度もロガに良いように保たれ、リネン類は肌触り良く清潔。
 だがその全てがよそよそしく、ロガには今だ馴染めなかった。
 隣にシュスタークがいなければ「家に帰してください」そう言って泣いてしまうだろうと思うくらいに、馴染むことができない。
 シュスタークの投げ出されていた腕、その指が微かに動く。
「ロガ?」
「ナイトオリバルド様。起こしちゃいましたか?」
「いいや。……余にも水をくれるか?」
「はい」
 ロガは大宮殿に来てから知ったのだが、シュスタークは意外と眠りが浅い。
 奴隷の住む惑星に桜墓侯爵として通っていた時には”寝坊してばかりだ”と言っていたが、ロガが寝起きを共にするようになってから、一度もそんな素振りを見せたことはない。
 眠るのは早い。だが些細なことで目を覚ます。
 シュスタークが飲み終えたグラスを受け取り、テーブルに置いてロガは腕を引く。
「眠りましょう」
「そうだな。まだ外は暗いな」
 ロガに促されるまま横になり、ロガを抱き締める。
 外は未だ暗く、鳥の鳴き声などしない。
 自分が聞いた声が鳥の鳴き声だったのか? 心細くなったロガは、シュスタークの腕にしがみついて目を閉じた。

**********


 デウデシオンは蘇生用の水薬を口に含みザウディンダルに口移しで飲ませた。触れている色素のない唇は水薬の苦みを強くする。
 飲ませ終え、自分の口の中に残った苦みを舌でなぞる。
 腕の中のザウディンダルは未だ眠ったまま。窓は開かれて夜の冷たい風がデウデシオンの頬に残った涙の跡を撫でる。
 結い上げている髪を乱暴に解き、高価な装飾を床に投げ捨てて、再びザウディンダルを抱きかかえて、その胸に顔を埋めた。
 ザウディンダルに触れて感じる温かさとともに、残された”彼女”がデウデシオンの胸を凍らせてゆく。
 いつでも観ることはできたが避けていた”彼女”の処刑映像。
 彼女の喉が治っていると言われて”声を聞きたい”と思った自分の考えが間違っているのかいないのか?
 死の間際、彼女は自分の名を呼んでくれたか。呼んだとして、それは無力な自分に対しての恨み言か、それとも ――

―― デウデシオン

「夜が明けない……いつになったらこの夜は明けるのだ? どうしたら、この暗闇から逃れられるのだ?」


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