ALMOND GWALIOR −128
 一人廊下を歩き、皇帝の元へと向かうデウデシオン。無意識に腰に下げている剣に手を伸ばし、もう片方の手で銃を触る。
 自分とシュスタークの面会を阻止するであろう、近衛兵団団長。
 弟である団長をねじ伏せて、どうしても皇帝に会わねばならないと歩き続ける。
 デウデシオンは自分が冷静だと思っていた。
 世間でいうところの、色がない世界でなければ、景色が歪むわけでもない。
 物音は普通に聞こえ、窓の外の夜空に煌めく星々も美しいと言える。
 どこもおかしくはない、冷静だと思いながらデウデシオンはつき進む。
 実際見た目は、誰が見てもいつも通りであった。内面も落ち着いているとデウデシオンは信じていた。
「帝国宰相」
 足を止めて自分が進んでいた廊下の右手側から声が聞こえてきたので、足を止める。
 そこで彼は気付いた。
 自分が皇帝の居る部屋ではなく、
「どこに行くつもりだったんだね?」
 ぐるぐると廊下を歩いては行き止まりで引き返していた。
「特に……」
「急ぎの用がなくて良かった」
「急ぎの用事は……」
「まだ陛下は判断を下されてはいないから、時間はあるだろう?」
 自分に余裕がないことを知っているが、人前で暴露する気にはなれない。知られていてる可能性もなにも考える余裕もなにもない。
「貴殿は急用か? バーランロンクレームサイザガーデアイベン侯爵」
「ああ」
 ザウディンダルの髪を引きちぎった時の、嫌な感触がいまだ残っている掌を握り締めて、背の低い皇帝の実父の目をのぞき込む。
「そんな恐ろしい顔で私を見ないでくれ」
「地顔だ。ロヴィニア顔にエヴェドリットが混ざった、恐ろしく残酷な」
「長い話になるから、座って話そう。帝国の大事だ」
 帝婿は背を向けて、自身が来た道を戻る。
 デウデシオンは自らが何度往復したか解らない廊下に立ち尽くし、行き止まりのほうを暫し睨み、溜息をつき帝婿の足音だけを頼りに後を追った。
 帝国の大事と言われては、デウデシオンは拒否することはできない。
 緊張していることに気付き、肩から力を抜いて武器から手を放す。

 姿は見えなくなっていたが、帝婿が入った部屋は扉が開かれたままで、室内の暖色照明が廊下に漏れ、陶器の触れる音がしていた。
 部屋へと滑り込むようにして入り、後ろ手に扉を閉める。
 帝婿は声をかけるでもなく、茶を淹れて席に着いた。
 扉を閉めてから動かないでいるデウデシオンを無視し、帝婿は茶の入ったカップの取っ手に指を通し本を開く。
 立ち尽くしていても何も動かないと、デウデシオンは帝婿が茶を淹れたカップが置かれているテーブル前にある椅子の背もたれに手をかけ、
「座るぞ」
「どうぞ」
 帝婿は顔を上げて、いつの間にかテーブルの上に置かれていた、切り絵で作られた栞を挟み、本を置いた。
「ずっと話そうと思っていたのだが、機会がなくて」
「前置きはいい」
 デウデシオンはカップの縁を指でなぞり、琥珀色の液体に映る自分の姿を見る。かすかに揺れている茶の表面は、皇帝の正妃となる奴隷のロガを思い出させた。
「では、銀狂殿下についてだ」
「銀狂殿下がどうしたと?」
「私は十五になると同時に陛下の夫となった。そこで他王家の王子であり、同じ夫である三人に出会ったのだが。その中の一人、皇君が”ある日”あることを教えてくれたのだ」
「ある日?」
「ガゼロダイスが生まれてちょっとしてからだ。知っての通り、私の兄で先代ロヴィニア王は、王妃との間に”長男”と”無性”を得た。無性が現れたことで、自分の子に”娘”が誕生する可能性がないことを知った兄は、王妃との間にそれ以上子を作るつもりはなかった」
 第一子が男で、第二子が無性。
 当時、既に帝国上層部の”女性”の喪失が問題視されていた。”女性”が全く誕生しない因子と、ディブレシアの産んだ私生児がみな”男”であることから、次の皇帝は間違いなく”男”であると誰もが考えていた。
 よって欲しいのは”王女”
 だがロヴィニア王は無性が誕生した時点で、自分と王妃の間には王女が誕生しないことを知り、それ以降子供を作ることを止めた。
 離婚して新しい王妃を迎えなかったのは、自分自身の無性の強さを”頭髪の薄さ”で自覚していた為だ。
 先代ロヴィニア王バイロビュラウラ、彼は頭髪が薄かった。
 地毛が膨らむタイプであったので、必死に誤魔化していたが相当に薄かった。鬘を被るのは禁止されており、育毛剤は無性の前には無意味。
 傍目では笑い話だが、当事者には相当な問題であった。皇族や王族のほぼ全員の頭髪が長いのには、他階級の知らない理由がある。

 完全に無毛である無性以外は、髪が厚いほうが優れているとされていた。

「何を教えられた?」
「無性を上……説明しづらいから、ロヴィニア王族兄弟を使って説明させてもらおう」
 帝婿は本の裏表紙を開き、ペンを持って話ながら書き出した。
「長男ランクレイマセルシュ、無性ガゼロダイス。問題は無性の次に生まれた子だ。この場合はエーダリロクだが、かの銀狂殿下の子は絶対に”女性”になるのだそうだ」
「なんだと?」
「言葉通りなのだよ。エーダリロクの子は絶対に”姫”」
「本人は知っているのか? 待て、先代ロヴィニア王は」
「もちろん教えたよ。だから兄は喜んでエーダリロクを作った。兄にとってエーダリロクは姫を作る道具だったのだが、とんでもない個体が誕生してしまった。”銀狂陛下”その物。見た目だけではなく、その全てが銀狂。兄は焦って殺害しようとしたのだが、エーダリロクに”弟”ができたとしても、それが作る子は確実に姫にはならないことを教えると、思いとどまった。まあ……嘘なんだけどね」
「……」
「二番目でも高確率で姫ができるけれども、私はエーダリロクを助けた。……帝国宰相が色々と手をうったように、私も権力が欲しくて模索していたのだ。兄の死後、私はエーダリロクを引き取った。そして実験を行った」
「絶対に”娘”が生まれるかどうかの実験か?」
「その通り。私だってロヴィニアだ、皇君の言葉を裏付けもとらずに信じたりはしないよ。ただし、確かめるのには成長するのを待つ必要があった。エーダリロクが成長して、射精できるまで待たないとね」
「……」
「帝国の自然性交で自然妊娠で自然出産。これが意味するものだよ。体細胞と組み合わせても決して女性にはならない」
「実験は自然ではないと思うが」
「そうだけれども、自然に近い状態で。私は七つの卵子を用意した、それらは受精し全て”女性”となった。そして処分した」

―― 泡になって消えたの。違う、消したの ――

 目の前の茶の入ったカップなど忘れてしまったかのように、デウデシオンは帝婿を見つめ続ける。
「それで?」
「今になって思ったのだけれどね……私は皇君に”はめられた”のかな? と。皇君の人造人間の知識量は、ラティランクレンラセオには遠く及ばないのだそうだ。ラティランクレンラセオ、彼は皇帝の座を狙っているだろう? 王妃は傍系王族でも良いが、皇后はそうもいかないだろうしね」
 ラティランクレンラセオに教えられた皇君が、帝婿を操ったともとれる。
「他者から見れば、エーダリロクと上級貴族メーバリベユ侯爵との間に産まれた姫は、傍系だ」
 そう言いながら、デウデシオンは理解した。
 エーダリロクはシュスタークと”同じ”だ。
 それを知っている王たちは、エーダリロクの子をこぞって欲しがる。現ロヴィニア王は、高値で売りつけるだろう。
「バーランロンクレームサイザガーデアイベン侯爵」
「なにか質問でも?」
「ケシュマリスタ王ラティランクレンラセオは既に皇位継承権を失っている。あの男が、銀狂の血を引く姫を娶ったとしても、皇位は継げん。だがあの男は諦めていない。あの男は一体、どのようにして皇位を獲るつもりだと考える? それと、息子をどのように排除するつもりだと考える?」
 予想外の質問に帝婿はデウデシオンの顔を凝視した。
 いつもの彼であれば、帝婿にこんなことは尋ねない。
 デウデシオンの露わになった動揺を前に、帝婿も動揺した。
 ラティランクレンラセオが皇位を獲ろうとしていることは知っているが、具体的な策は解らない。解らないが、獲れる実力はあると警戒している。
 ”方法は杳として知れず”それが余計にラティランクレンラセオという王に対する恐怖の根源。
 方法さえ解れば、誰でもとは言わないが、ある程度の才能と権力を持つものならば対処できるのだ。
「解らないな」
「そうか……私が考えるに、おそらくザウディンダルを使うだろうと思っている。あれの生殖機能を逆転させて陛下の手を出させて孕ませる。流血沙汰にはならず、皇位はケシュマリスタ王家に転がり込むだろう」
「帝国宰相」
「様々な理由をつけて外に出していたが、塔の中に収めるべき時期がきているのだろう……だがな……」
「そしたら帝国宰相、あなたが皇帝だ。解っているから”収容”しなかったのでしょう」
 デウデシオンは否定しなかった。


―― 皇帝でなくては手に入れられなくなってしまうから、塔に封印しなかった。だが本当にそれだけか? 違うのだ。塔に封印しなかったのは、デウデシオンが自分自身を……


「どうかしたの……」
 突然目を見開いたデウデシオンに話しかけるが、動く気配がない。何事か? と視線を追うために振り返ると、窓の外にバロシアンが見えた。
 窓の外といっても、かなり遠くで動く小さいその姿。
 テーブルを倒すかの勢いで立ち上がったデウデシオンは部屋を横切り、窓が壊れなかったのは奇蹟だろうと言わんばかりの勢いで叩き開いて外へと飛び出した。
 帝婿も椅子から立ち上がり、デウデシオンの後ろを追う。
 バロシアンが現れた方向と、話をしていた部屋の位置から考えれば、
「バロシアン! どこで何をしていた!」
 何処に居たのかは判明してしまう。
「どこに居たか理解しているから、帝国宰相はこうやって怒鳴っているのでしょう!」
 バロシアンの腕を掴み、怒鳴り付けるデウデシオン。
「お前! ……陛下になにを告げた」
「解っているのでしょう! 解っているのに、なぜ問うのですか!」
 腕を引き寄せて、片手で握り拳をつくり容赦なくバロシアンの頬に振り下ろす。
 鈍い、まさに”嫌な音”が、刈り込まれた芝生の美しい庭に響く。
「陛下に、なにを!」
「言いました! 私は言いました! 私が先代皇帝と貴方の間に産まれた子だということを」
 再び振り下ろされた拳。そして帝婿には、駆けている足元から聞こえてくるような殴打音。
 だがデウデシオンは殴り続けはしなかった。二発目を殴ったあと、拳を宙で震えさせ、掴んでいる腕に力を込める。
 口の端が切れるどころか、口の中も自分の歯で切れてしまったバロシアンは、噛み締めた歯の隙間から血を流す。
「止めなさい!」
 叫んだ帝婿自身”どちら”に向けた言葉だったのか? はっきりとはしなかった。
 デウデシオンに殴るをのを止めろと言ったのか? それとも、バロシアンにこれ以上皇帝との会話を教えるなと言ったのか? 両方だったのかも知れないと思うが、両者とも聞いてはくれなかった。
「そして”あなた”が、女王であるザウディンダルを愛していることも!」
 駆け寄っていた帝婿の足が止まるほどの異様な音がした。
 腕を開放されたバロシアンが地面に崩れ落ちる姿を見て、必死に足に動けと帝婿は命じる。
 それは恐怖。
 暗闇の下で人を殴っている男。自分よりも遙かに強い男が、もう一人のこれもまたやはり自分よりも強い男を殴り続ける。
 近寄って無事に済む身分だが、殴っている男が常軌を逸していた場合は自分の身も危ない。

 ―― 殴られるのは嫌だ

 帝婿は沸き上がる感情と共に、人間”らしさ”というものを思い浮かべる。
 殴られている人がいたら、それを助けるのが人間であって、助けないのは人間ではない。
 殴られている人がいたとしても、人間は恐ろしくて助けに入ることはできない。それもまた人間だと。

 ―― どちらにしても人間か

 我ながら下らないことを考えているなと他人事のように思いながら足を速め、黙って殴られているバロシアンの元へと急いだ。
 彼の能力であれば反撃することは可能。反撃しなくとも防御することもできるのだが、彼は黙って殴られていた。
「いい加減にしなさい」
 ”だから私は止めようとしたのだな”
「帝婿」
 バロシアンに振り下ろそうとした拳の前に、閉じた扇を持った腕を出して止める。
 殴られるのが嫌だと思うし、恐いと思いながらも、帝婿は止めた。
「ここで彼を殴っている場合ではないだろう」
「だが……」
「話は変わるが、皇婿が殺害できないことを考えて、皇君が向かうと言っていたよ。皇君は今の君以上に、平気でやるよ」
 口から血を流して泣いている”バロシアン”に視線を向けて、
「解った」
 髪をかき上げ背をむけて、デウデシオンは立ち去った。
 デウデシオンの姿が見えなくなったところで、帝婿は泣いているバロシアンに手を差し出す。
「さあ、治療しにいこう」
「独りで大丈夫です」
「一緒に行きたいんだ。さあ、行こう」
 帝婿は手を引き、治療室へと向かった。
「あの……」
 怪我の治療が終わるまで待っていた帝婿に、バロシアンは頭を下げる。
「陛下に言いたいことは言えたようだね」
「はい。その上、治療にまでお付き合いいただき……何と言って良いか」
 帝婿は頭を振り、それは違うと笑った。
「早く親子になれるといいね」
「無理のような気がしますが……自分だけが親子になりたがっているだけで、親は自分を子として欲してはいない」
「でも君達は親子になれる可能性がまだ残っている。私は……私には”私の子”というのはいないから、羨ましくおもうよ」
「帝婿殿下……いえ帝太婿陛下」
「私は陛下の実父で、たしかに帝太婿陛下の称号を持っているが……親子ではない。私は陛下の臣民だ」
 皇帝は帝婿を実父と慕い、そのように接しているが、皇帝と家臣であることは絶対。
「……」
「親のために必死になる子も、子を怒鳴り感情のまま殴りつけ親にもなれない。殴ることは良くないけれど……なんだろうね、羨ましく思うよ。どこにも羨むことなどないと言われるのは理解していても、それでも羨ましく思うよ」
 殴り返すこともできただろう息子と、一撃で殴り殺すこともできただろう父親は”解っているのに”認めない。
「帝婿殿下……あの」
「君はもう少し出来が悪くても良いと思うよ。もっと困らせても良い筈だ。君は君が生まれたことが、困らせていることだと思っているから”良い子”であろうとしているのだろうけれども……今夜は私の宮に泊まりなさい」
「はい」
 部屋へと連れてゆき、有無を言わせずバロシアンをベッドに入れて、
「あの……帝婿殿下」
 帝婿は脇に座って本を開いた。
「ベッドで不必要なことを考えて、眠りを逃しそうだからね。君が眠ったら私も眠るよ。君はいつ私を眠らせてくれるのかな?」
 そこまで言われては眠らないわけにもいかず、バロシアンは目を閉じてできる限り何も考えないようにして……
「枕の中身が睡眠を誘う香料が入っているから効いたようだね。途中で目を覚まさないという保証は……」
 寝顔を見つめ”誰かさんにそっくりだ”と笑い、朝日がさすまで部屋にいた。


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