ALMOND GWALIOR −122
 扉を壊すかのように開き、ザウディンダルの部屋へと乗り込んできたデウデシオン。
 見たことのない冷たい表情に驚いていた邸の主であるザウディンダルは、声をかけることができなかった。
 叱られるようなことも、失敗もしていないはずだと、自分の行動を振り返ろうとするが、慣れない頭部の痛みに思考が霧散する。
 攻撃する際のように踏み込み間合いを縮め、ザウディンダルの髪を鷲掴み、足を払い体勢を崩し、そのまま引き摺る。
 先程までいた部屋が遠離り、髪が頭皮から抜ける音が耳ではなく、体に直接感じる。
「痛いっ!」
 髪を握り体を運んでいるデウデシオンの手首を両手で掴むも、ザウディンダルの力でどうにかできる物ではない。
 なんとか立ち歩こうとしても、そのたびに頭を掴んでいる手を大きく振り体勢を崩す。
 何が起こっているのか全く解らない状態のまま、デウデシオンの邸へと連れて来られたザウディンダルは、一室へと投げ捨てられる。
「一体なに……」
 床に打ちつけられた衝撃が通り過ぎ、やっとの思いで顔を上げて理由を問いただそうとしたザウディンダルの視界に飛び込んできた。
 首輪から手枷と足枷に続く鎖のついている”拘束具”
 原始的なものではなく、技術の粋を凝らしたもので特殊な鍵か、もしくは巴旦杏の塔内に入った時のみ外れるようになっている。
 鍵は一つの拘束具につき一つしかなく、複製は不可能。
 枷にも鎖にも、蔦が透かし彫りされたそれを、デウデシオンは無言のままザウディンダルに装着した。
「兄貴……」
 装着し終えたデウデシオンは立ち上がり、背を向けて、
「陛下が巴旦杏の塔に入られた。お前が両性具有であるということを知られたのは確実。……陛下がお前に興味を持たれては困る。陛下が両性具有の元に通うのは、帝国の現状からして好ましくないどころか、存亡の危機に発展する。よって陛下がお前を収めるよう命じられた場合、私は”帝国宰相”として、お前を処分することに決めた」
 ザウディンダルが声をかける時間も与えず、告げるだけで立ち去った。  
 呆然と床に座り込んでいるザウディンダルは、暫く手を動かす都度、足を動かす都度、音を立てる鎖の音に身を震わせた。
 考えることなどできなかった。デウデシオンに告げられたことを理解してしまった時から、考えることを放棄してしまった。《処分》それは死。
 それ程長い間ザウディンダルは一人だったわけではない。
 ザウディンダルにとっては、長い時間に感じたであろうが。部屋の入り口からではなく、庭からアイバリンゼン子爵とともに、
「ザウディンダル」
「皇婿殿下……」
 皇婿セボリーロストが現れた。
 子爵は無言のまま運んできた荷物を置いて、再び庭へと出て去ってゆく。
「髪が乱れているね」
 皇婿はそう言ってザウディンダルの頭に手を伸ばす。
「血が滲んでいるね。どうしたのかな?」
「兄貴が……」
「はあ……デウデシオンか」
 指で髪を撫でる。
 まさに死を目前に控えた静けさ、それを感じながらザウディンダルは目を閉じた。
「あの……」
「陛下が君の収容を命じなければ、儂は殺したりはしないよ」
 気力だけで保っていた上半身が崩れる。
 自分の頭を撫でている相手が、自分を殺すという事実に打ちのめされて。
「陛下は希望しないと……信じている」
 テルロバールノル王子にしては、独特の発音が目立たない皇婿は、ザウディンダルを支える。
「あ、あの……でも、俺殺したら……皇婿殿下が処刑され……」
 両性具有を殺害すると、皇婿も処刑対象となる。皇帝に知られていない時ならばいざ知らず、知った直後に殺害しては隠しようがない。
「五分五分だね」
「五分五分?」
「僭主の末裔を狩った王子として判断されるか、両性具有を殺害した皇婿と判断されるか。おそらく……」
 皇婿は言葉を濁したが、自分は死ぬと感じてもいた。
 判断が割れることは確実。現テルロバールノル王カレンティンシスは前者とし、皇帝に助命を申し出る。好き嫌いではなく、僭主を狩った王子を守る必要が王にはあった。
 後者は間違いなく王弟カルニスタミア。
 複雑な感情と共に皇帝の権威と建国以来の大原則を掲げ、兄王と正面からぶつかる。
 その衝突の結末が、簒奪になりうることは皇婿にも予想できた。
 ザウディンダルを処刑したら、間違いなくカルニスタミアは王座を獲る。そう、ザウディンダルをその手で殺した皇婿を処刑するために。
「皇婿殿下、知っていたんですか」
「それはまあ、なにせ自王家の僭主だから」
 腕の中で生気の消えかけているザウディンダルを床に横たわらせ、運ばせた荷物から薬を取り出した。
「ザウディンダル、これを飲まないか? 意識がなくなる薬だ。処刑されるとしても、眠っている間のほうが恐くはないだろう?」
「薬は勝手に飲んじゃ……」
 ”駄目だと言われている”
 続くはずだったが、続けられなかった。薬が体に及ぼす物など、処刑されるか? されないのか? の状態に晒されている自分には関係のないことだと気付き、気付いたところで考えるのを止めて、懇願するように両掌をさしだした。
 錠剤を一粒乗せて、
「飴のように舐めるだけでいいよ」
 皇婿は血の滲んでいる頭を撫でる。
 目に涙を浮かべて薬を口に含んだザウディンダルに、
「薬を飲んでくれてありがとう。儂は処刑とか苦手でね……苦しませないで殺す自信はない」
 頼りなげに言う。
 ザウディンダルはそれが自分に対して言われているのだということすら考えるのを止め、意識を閉じた。

**********

 デウデシオンは皇帝から呼ばれるのを待っていた。
 誰もが近寄れないほどの空気をまとったまま、宙を睨み歯を食いしばり「シュスタークの意見」を待ち続ける。
 黒い髪が何本も絡まっていることに気付き、叫び出しそうになった首を押さえて叫び声を飲み込み、髪の毛を指から外そうとするが、震えて髪を外すことができない。
 指に絡まる髪が、先程自分の掌で感じた、頭皮から力尽くで抜かれた髪の音を思い出させ、益々髪を外したくなるのだが、焦るほどに手が震える。

 皇帝が巴旦杏の塔に入ったことは、隠しようがない。

 そして王たちも動向を見守っている。正確には”デウデシオンの行動を監視している”
―― ザウディンダルが帝国騎士に任命された時、皇帝の手を払いのけた ―― その時と今は良く似ている。
 デウデシオンは自らザウディンダルを助けて欲しいと、皇帝に嘆願することはできない。
 嘆願でもしようものなら、王たちはこぞって彼を引きずり降ろす。
 一度引きずり降ろされたら最後、デウデシオンに元の地位に戻る術はない。なによりも失態ではなく、帝国の基本理念に触れての失脚となれば、皇帝でも覆すのは不可能。
 それを覆したら皇帝シュスターク、彼の皇帝としての地位そのものが危うくなる。
 彼は皇帝の意志を黙って待つしかない。そして王たちは皇帝に「両性具有の収容」を勧める。家臣として、また帝国宰相を失脚させる好機とばかりに。
 そんな王たちではあるが、今まで皇帝に両性具有の存在を隠していたデウデシオンに対し、皇帝はどのように判断を下すか? はあまり重要視してはいなかった。
 皇帝シュスタークの性格を考えると、罰することはまずない。
 
 指に絡まった黒髪を取り除くのを諦め、握り拳をつくりその手を振り上げ、殴ろうとした寸前になって止め、その黒髪に口付けた。

**********

「陛下は誰にもお会いにはならないそうです。四大公爵殿下でも取り次ぐなと命じられました。お引き取り下さい」
「そこを何とか取り次げ、メーバリベユ」
「私も義理兄王殿下のご希望は叶えたいのですが、本当に陛下が嫌がっておいでなのです。ふだん四大公爵殿下に会うことを喜ばれる陛下がですよ。ここで無理をして不興を買われたいのですか?」
 シュスタークは現在、正配偶者の宮からは離れた、皇帝宮にロガと共に住んでいる。
 二人仲良く生活しているのだが、ロガ専用のスペースをも与えていた。専用とは、ロガの意志が尊重、あるいは優先されるべき区画。
 シュスタークは今、ロガの意志が尊重される区画で、料理を前に手もつけず溜息をついていた。
 その后殿下の区画を実質的に維持しているのは、当然ながら女官長のメーバリベユ侯爵。
 彼女が今皇帝の代理として、王と交渉にあたっているのはその為である。
「うむ……だがなあ」
「ロヴィニア王殿下はお引きください。他の三公爵殿下は、ここまで言っても解らないのでしたらどうぞ。私は責任は負いません、負う必要もございませんもの」
 メーバリベユ侯爵は入り口の扉を開かせ、ロヴィニア王の胸に手をあて押しとどめるようにし、もう片方を差し伸べるようにした。
 王たちは互いに顔を見合わせる。
「陛下がこちらに入られたのは、帝国宰相閣下とも顔を会わせたくはないからだと。勿論陛下より直接言われたわけではありませんが。他方、閣下は陛下のご意志を汲んで……ではないでしょうが、陛下のご意志に従った形になってますわ。ここで皆様が無理をなさったら、閣下の信頼はますます厚くなるでしょうね」

 王たちは、退散するしか道は残されていない。

「ふう……やっと帰って下さったわ。四大公爵当主と一斉に交渉するのは疲れますわ」
 全く疲れなど感じさせない表情で、にこやかに笑って見送ったメーバリベユ侯爵だが《これから》が大変であった。
 シュスタークではなく、ロガに関して。
 ”陛下が巴旦杏の塔に入った”と夫であるエーダリロクから連絡を受け取った時、彼女は特に何も考えはしなかった。彼女が出来ることはない、そのことを知っていたために。
 ”陛下は后殿下の区画に、直接戻る可能性が高い。現時点では帝国宰相も拒むだろうから、それなりの対応をしてくれ” 
 シュスタークの内心の混乱を少しでも軽くするために、最も信頼しているはずの帝国宰相をも取り次ぐなとエーダリロクは言ってきたのだ。
 ”他の方ならまだしも、帝国宰相閣下を取り次がないでは、陛下から不興を買いかねませんよ”
 エーダリロクは首を振り、
 ”絶対に取り次ぐな。下手に取り次いだら、陛下を殺しかねない。あんたも帝国宰相に対応する時は、皇君を同伴しろ。今のやつはそのくらい危険だ。四大公爵たちは通してもいいぜ。不興買うだけだろうけどな”
 最も危険な相手を告げる。

 エーダリロクからの連絡後、散歩から帰ってきた来たシュスタークの顔色の悪さや落ち着きの無さもそうだが、ロガの格好にもメーバリベユ侯爵は驚いた。
「木登りしてたんです。ねっ! ナイトオリバルド様」
「あ、ああ。ロガは木に登ってたぞ」
 あちらこちらに泥がつき、手の節々の皮がむけている。
 木登りをしただけでは”こう”はならない筈だが、
「然様で。大至急治療の用意をさせますので。治療後に陛下と一緒に、ゆっくりとご入浴ください」
 メーバリベユ侯爵は触れなかった。
 ロガの琥珀色の眼差しは、秘密にしておくことを良しとしていなかった。少し待ち、気持ちが落ち着いたら自発的に喋ってくれるだろうと。
 それとは別として、怪我の理由を調べる必要はあった。
 本人の意志云々とは関係無く、后殿下の身の安全と体調を知っておくのは必要不可欠。
 検査結果として、殴られるなどの暴行を受けた形跡もなくメーバリベユ侯爵は安堵した。
「場所が場所ですし、陛下と后殿下しかいない場所ですから、それに関しては安心していましたけれど。あの指の怪我はどのようにして?」
「棒を持って力を込め、地面を掘り返した……としか。着衣に付着している土の形状からしても、また土の成分からみても……あの近辺だそうです。土の成分解析はセゼナード公爵殿下よりの報告ですので、間違いはないかと」
 メーバリベユ侯爵は食事の用意をさせ、フォウレイト侯爵にあとを任せて、湯上がりの皇帝の耳元に”全ての面会を禁じますか?”と尋ねる。
 皇帝は頷き”頼む”それだけ告げた。

 なぜ后殿下が棒で地面を掘り起こそうとしたのか? そして隠しているのはなぜか?

 メーバリベユ侯爵は考えても解らないと即座に判断し、あの近辺の全てを統括している”セゼナード公爵”に連絡を入れた。 
「四大公爵殿下には引き取っていただきました。それと少々お聞きしたいのですが」
 ”何だ? 俺も色々な用事が押しているから”
「巴旦杏の塔の地面に、何かが埋まっていることはありませんか?」
 ”何だそりゃ……”
「解らないのでしたら結構です」
 ”いや、待て! すげー気になるから”
「要点をまとめたら連絡します。それまでに全ての用事を終えておいてくださいね」

 そして連絡を一方的に切り、
「これで殿下は動いて下さるでしょう」
 ロガの元へと戻っていった。


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