ALMOND GWALIOR −92
 でも偶に僕は思うんだ。
 ラティランが皇帝でも良いんじゃないかと。ラティランの治世になったら僕は間違い無く存在しない。
 ラティランの暗部を知っている僕は邪魔者以外の何者でもない。
 今のケスヴァーンターンは ”ケシュマリスタ・マルティルディ” と名乗っているけれども、国内血統で言うならイネス。皇帝側から観ると、あのサウダライト帝の血に繋がる。
 僕はその血を強く引いていたせいで、平民帝后の褐色の肌を持って生まれてきた訳だ。ラティランが皇帝の座を狙う理由の一つは、現ケシュマリスタ王家が皇帝の血統に連なる所にある。

 帝王ザロナティオンに膝をついたネヴェルハルファネ王。僕の曾祖父にあたる彼は一体何を思って屈したのか?

 ネヴェルハルファネが皇帝の座に就く事ができていたら、僕はこの世には居なかっただろうけれども、それはそれで幸せだったのじゃないかなあ。
 この全てを支配されている今を思うと、僕は逃れる方法を過去に求めてしまう。それは決して訪れない救済。
「カルさん」
 微笑んでいる奴隷を見ながら、僕は少し疲れを感じた。情事の疲れじゃない、別種の精神的な疲労。
「元気にしていたか? デゼ・ロガ」
 彼、いいや……カルニスタミアが 《姫》 と呼びかけるのを聞き、ますます疲労感が蓄積される。
 皇帝陛下が通われる此処は、何時だって心地よい青空が保たれている。
 この作られた惑星の上で、奴隷は自然に笑う。作り物の惑星の上で人間が笑うと、ここは手を加えずに住めるの稀少な天然惑星ではないか? そんな錯覚に陥る程の笑顔で。
 僕達は稀少な住みやすい天然惑星に住む。昔人間に追われて、劣悪な空間に押し込まれた仕返しだけれど、奴隷の微笑みを観ると、意味のない行動にしか思えない。
「は、はい! カルさん!」
 陛下の到着前に二人は談笑している。
 最初は 《薄汚れた奴隷》 としか観ていなかったカルニスタミアは、陛下と精神と記憶が行き来して以来、彼女に対して深い感情を抱いた。
 それが偽物だと知りながら、カルニスタミアは彼女に優しい。
「ガルディゼロ」
 陛下の声に礼をしなくてはと振り返る。
「陛……」
 振り返ったそこに立っていられる陛下の髪を観て、

《きゃはははははは! こう笑うのだよ、解るか? キュラティンセオイランサ》

 ラティランの言葉が甦ってくる。
 あの人を狂わすような嗤い声。僕に教えた嗤い方。
 ラティランは僕に嗤い方を教えながら、母の髪を引き抜いた。束で頭皮ごと引き抜いたり、一本ずつ引き抜いたり。
 反応が無くなったら、睫を引き抜いて……

 《髪は美しいな。鬘にでもしてやろう。ありがたく思え、売女》

 髪を全て引き抜かれた。あの美しい髪は何処に? あの女は癖一つ無い栗毛色の美しい長い髪が自慢だった。
「……」
 突如水中にたたき落とされたような感触だ。
 上も下も解らないような……そんな……
「どうした? ガルディゼロ!」
 陛下が心配して膝をついてまでして声を掛けて下さるが……離れてください、その髪は……その鬘に使われた髪は……
「も、申し訳ございま……」
 立ち上がろうとしても足が震えて動かない。
「どうした?」
「へ、陛下……あの、全く関係はありませんが……あの、その鬘は……誰から?」
「こ、この鬘か? これはラティランクレンラセオから贈られた」
 ラティランは観ているに違いない、絶対に観ている!
「震えておるではないか。カルニスタァ……カル!」
 ラティランの笑い声が僕の身の内に木霊してくる。息遣いと共にあの笑い声が。
「桜墓侯爵、如何なさいました?」
 《ラティランクレンラセオ王》 は僕を自由にしてはくれない。僕の生死があの男の手の上にあることは知っている。それ以上に僕の精神の全ても、あの男が自由にしている。 自由にはさせたくはないと思えば思う程に、僕は自分が支配されている事実に直面してしまう。
「疲れているようだ、休ませてやってくれ」
「畏まりました」
 カルニスタミアが肩に自分の体重を預けると、小さな軽い足音が近寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
 顔の爛れている奴隷が、心の底から心配していることを隠しもしないで僕を見上げてくる。
「平気だよ」
 僕は早く歩いてくれと、カルニスタミアの首に回している腕に力を込めた。
「心配ありがとう、デゼ・ロガ。後は気にせずに、桜墓侯爵と過ごしてくれ」
 ”ロガ姫” と呼ばれている事に気付かない彼女は、
「はい、解りました」
 笑顔で奴隷らしく礼をする。膝をついて胸の前で手を交差させて、醜い筈なのに、それはそれは美しい笑顔で。

 僕はその笑顔に見送られ、重い身体を引き摺って管理区画へと戻った。

 僕はベッドに俯せに倒れ込み、早く出ていってくれとの意を込めて手を振る。カルニスタミアは何も言わないで出て行き、静かになった部屋で一人目を閉じた。
 眠気など全く無いが、酷い頭痛は意識を波のように遠退かせ、そして再び引き戻す。途切れる事のない苦痛から逃れる術は多数あるが、僕はどれも選びはしない。
 苦痛が生きている証だなどと愚かな事は言わないが、どれも選びたくはないくらいに無力だ。
 どれ程時間が経ったのかは解らないけれど、扉が開いた音と共に目を開く。窓から差し込んでくる日差しはまだ高く眩しいもので、その刺激が痛みをより一層激しいものにした。
 無言で近付いてきたカルニスタミアは、僕の頭に手を乗せてゆっくりと撫でる。薄めを開けると、軍人特有の黒い手袋を嵌めた大きな手が見えた。
「起こしたか?」
 警官の服ではなく、略式ながらもテルロバールノル王子の格好に着替えているカルニスタミアは ”悪い” と呟きながらも、僕の額から首筋までをゆっくりと撫でる。
「何だい?」
「一度帝星に戻る」
「え?」
「慣れない生活で疲れも溜まったんだろう。このままの状態で任務を続けるのは不可能と診断が出た。儂が付きそうから、暫くは身体を休めろ」
 返事も聞かないで、カルニスタミアは僕を抱き上げた。
「ちょっ! ちょっと待ってよ……」
 こめかみに走る電気的な痛みに顔をしかめると、
「大きな声を出すな」
 ”それ見た事か” と言った声で窘めてくる。
 僕は大宮殿には戻りたくないと言ったら、ホテルを借りたと言ってきた。奴隷惑星から出て、帝星の小型宇宙船の離着陸が許可されている高級ホテルの一つにまっすぐに向かい、ベッドルームまで運ばれた。
「医者にかかる必要はないとエーダリロクが言っていた。三日ほど儂以外の人間との接触を禁止する」
「なっ! 何で君が!」
「三日間黙れ。お前の主であるラティランクレンラセオにも許可は取った」
 その名前を聞いて、僕は声を失う。
「……」
 僕は自分の精神が不安定になっている理由が知られて悔しかった。恥ずかしいと言うより悔しい。
 カルニスタミアは初めて出会った時、僕よりずっと子供っぽかった。それが今じゃあ、ザウディンダルが絡まなければ随分と大人になった。
 僕はどれ程努力しようとも、今のような生き方を選ばなかったとしてもカルニスタミアには追いつけなかっただろう事だけは解る。
 ラティランは皇帝の器じゃないと僕が言い切れる理由は、僕が大貴族の器じゃないからだ。
 矮小な人間は同じ人間の匂いをかぎ取るのが上手い、ラティランは王としては良いけれども、彼はあれ以上成長する事は無い。
 人間の幅が狭い……ラティランに向かって人間の幅なんて言ったら、殺されるだろうけれども。
 エーダリロクは王になれるけれども、ビーレウストは王にはなれない。カルニスタミアは前者に近く、僕は後者に近い。
 僕とビーレウストの違いと言えば、ビーレウストはそれを受け入れているけれど、僕は認められない事だろう。
 結局僕は、自分の才能の限界を知りながら諦められない。無様だとは思うが、それを捨てる事は出来ない。結局、ラティランに近い血を引く男なんだ。そこまで理解していながら、僕は認めたくない。

 《ラティランに近い血を引く男》 これを認められたら楽になるのに、僕は認めたくはない。

 ザウディンダルの事を嘲笑う事が出来ない程に、僕も自分は愚かだと思う。
「今お前に与えられている任務で最も重要な物は、陛下の護衛じゃ。その遂行を邪魔する物は排除して当然じゃろう」
 儂とエーダリロクが責任を持つから、安心して休めと言われ僕は目を閉じた。言い返すのも鬱陶しいとシーツにくるまりカルニスタミアに背を向けて眠る体勢を取る。背を向けたのだから出て行くだろうと思っていたのに、カルニスタミアはマントを外しベッドに投げ捨てると隣に身体を押し込んできた。
「何のつもり」
「良いから寝ろ。何もしない」
「君、男と添い寝する趣味あったの?」
「ねえよ。抱くのもそうだが添い寝も女の方が良いが、お前は特別だキュラ」

 半端に優しくして欲しくはないと思う反面、カルニスタミアがただ隣にいてくれるというのは、嬉しくて仕方なかった。

「たらし」
「何がじゃ?」

 この三日が永遠に続けばいいのにだなんて、下らない事を考える程に。

*********

 ”ごめん”
 それは僕が誰よりも 《誰か》 に届けたい言葉だ。だが届きはしないだろう。僕の元に救済が訪れないのと同じくらいに、ラティランクレンラセオ・レディセレギュレネド・リュゼーンセバンダーリュが存在する限り、僕は立ち尽くすしかない。


 睫を引き抜かれる時、母は顔を上げて、その際には目が合った。
 彼女はそのたびに訴えた。いいや、話掛けてくれた。

”ごめんなさいね”

 母は最後まで絶望しなかった。何故なら母は死ぬ時まで涙していた。もう良いです、貴女の言葉は僕に届いているので、もう囁く事を止めて下さい。お願いします。

 ”ごめん”

 僕は母を助けたかった。でも助ける事が出来なかった。それを認める事も出来なかった。僕は母を嫌悪することで、救えなかった事を正当化している。

 僕はあの女は嫌いだ。女は全て嫌いだ。だから殺したって構わない。僕は僕を保つ為に、女を犯し殺す


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