ALMOND GWALIOR −87
 キュラが到着するまでの間、ビーレウストとカルニスタミアは、
「このコーヒー、不味いな」
「美味くはねえと思うが、飲めない程か? カル」
「一口で充分だ。これ以上はとても飲めん」
 カルニスタミア曰く、不味いコーヒーを飲みながら伯母一家を観察しつつ、情報を集めていた。
「機動装甲の使用許可、良く貰えたものじゃな」
 カップを遠ざけながら、情報に目を通すカルニスタミアに、
「おう。何でもエーダリロクが帝国宰相に ”ザウディスの体調を整える為に” って言ったら直ぐに貰えたらしい」
 クリームを足し、かき混ぜながら答える。
「何の実験じゃ?」
「さあ。殺すの前提らしい、そのくらいしか知らねえ。実験体は伯母で良いんだよなあ」
 物騒な実験の上に殺すのは当人なのだが、他人事のように言いカルニスタミアには飲めたものではないと言われたコーヒーを飲み干す。
「仕様書を読んでから決めたらどうじゃ? ……ふむ」
「どうした? カル」
「伯母達を連れてきた、元婚約者はまだ生きているようだ。今は誰にも暴力などふるわず、真面目に仕事をして女と生活しているようじゃな」
「そうなんだ。止められるなら最初からしなけりゃ良いのによ。俺なんてどんな事されようが、何処に連れていかれようが殺すの止められねえけどな」
「それはな……お前はなあ……確かに止められるのならば、最初からそんな事をしていなければ良かった訳だが」
 給仕が礼をしカルニスタミアが飲まなかったコーヒーを下げ、代わりに赤ワインが注がれたグラスを置いて立ち去る。
 グラスを持ったカルニスタミアは揺れる赤い液体を眺めながら、物憂げな表情を浮かべる。テーブルに肘をつき他所を見ているビーレウスト。
 二人とも言いたい事があるのだが、それが上手く纏まらない。互いに暫く考え、先に口を開いたのは、
「あの ”暴力的な婚約者” がいなけりゃ、キュラは幸せになれたのか?」
 ビーレウスト。
「違うな」
 言われたカルニスタミアはグラスに視線を落としたまま否定する。向き直ったビーレウストは、論じた所で仕方のない事と知りながら語り続ける。
「そうだよな。じゃあ何処で間違ったんだ?」
 グラスを置き、情報を眺めながら腕を組むカルニスタミアは、
「間違いはなかったと儂は考える、キュラの人生はこの道しかなかったと儂は思う。”もしも” という未来を考えたとしても」
 そんな前置きをして、淡々と語った。
 恐らく伯母が家を出ないで婚約者と結婚した場合、キュラの母は前ケシュマリスタ王の愛妾となっていただろう。
 キュラの母が婚約者、もしくは今監視されているロディルヴァルドという男と結婚していたとしても、その美しさから王に召し上げられ、外で働いていた伯母は連れ戻されてガルディゼロ家を継ぐことになっていたに違いない。
「どう考えたとしてもキュラという男の存在は消えない。幸か不幸かは知らぬが、キュラは ”ケシュマリスタ王の私生児” として生まれてくる存在だったのじゃろう」
 カルニスタミアは美しい頃のキュラの母親の映像をビーレウストに見せる。立体画面で現れた彼女は確かに美しい。
「ラティランがいなければ違った道に進めていたのか?」
「それじゃが、ラティランでなければ恐らく殺害されていたのではないかと。何の目的は今のところ解らんが、ラティランの野望達成の為にキュラは必要な駒なのじゃろう。野望とは即ち皇帝の座に就く事。他の弟達にはその野心は無かった物と思われる、無かった故にラティランの策に絡め取られ死亡した。実弟達は玉座すら狙ってはいなかったようじゃからな」
「何でラティランの実弟達が玉座狙ってなかったって解るんだ? カル」
「殺害されたからじゃよ」
「……邪魔だから殺害されたんじゃねえのか?」
 カルニスタミアは指を組んで顎を乗せてビーレウストと視線を合わせ、
「もしも実弟の誰かがケシュマリスタ王の座を狙っていたら、あの男は譲った筈じゃ。そうなれば皇位継承権を失わずに済み、より簒奪しやすくなる。むしろ簒奪ではなく譲位の形となるじゃろう」
 苦笑いを浮かべながら ”ラティランクレンラセオの真意” を勝手な推測ながら当ててみせた。
「まあ、確かにそうなるだろうな」
 憖、尊敬されていた男は、喜んで家臣になろうとしていた才能的に劣る実弟達に、それ以外の価値を見出す事はできず、己が即位した事により失った ”皇位継承権” が実弟達には存在する事を危険視した。
「他の実弟達は私生児を庶子にはせずに殺害したであろうし、それ以上に玉座を継げなかったラティランが私生児達を ”護ってやる” と言って引き連れ、手駒にしたのではないかと。結局キュラはラティランの支配下からは逃れられん幼少期を過ごす以外の道はない。何処かが間違っていた訳じゃねえ。全てが間違っていたのかもしれねえ。残酷で憤りを覚える物であっても、これしか無い」
「……」
「儂等は絶対に ”褐色の肌で皇帝顔の” キュラティンセオイランサなる庶子には出会えない。まさに未来に ”もしも” は存在しないという事じゃ」

**********

 到着したキュラから試薬を受け取ったビーレウストは、急いで仕様書を開き目を通す。
「じゃあ、僕はそいつ等に会わせてもらおうかな」
 キュラの声は既に何時もより高く、物を震わす程になっていた。二人は視線を交わして、伯母と嘗てキュラの母親を捨てた男との対面に付きそう。
 王子二人と共に現れた、彼等にとって 《偽物》 のキュラを前に伯母と夫は、何かを言いたそうではあるが、何も言う事ができないまま膝をついていた。先ほど伯母の面会を受けた時と同じように椅子に座ったビーレウストは仕様書を読み始め、カルニスタミアは自分の背もたれに体重を預けるキュラの動きに注意を払いながら二人と、正気を失ったまま此処まで生きて来た ”キュラの従妹” を見る。
「元々顔悪かったけど、荒んだ生活でますます酷い面になったね、メディルグレジェット。ここでどうやって金を稼いで生活していたのかな? お得意の男の乗り換えで? 顔は悪くても娼婦にはなれるもんね」
「あ、あなたは一体何者なの?」
「君ってさ、凄い厚顔だよね。自分の事好きだった男に妹の婿になれって命じるあたり、先代ガルディゼロ伯爵と何も変わらないよね。君ってさあ、先代が暴力をふるうと知った後でもアーディルグレダムと結婚しろと言われて、すごい腹立ててたらしいけど、君がロディルヴァルドに向かって言った言葉と何か違いあるの? 相手の意志を無視しているっていう自覚あるの? ないよね」
 徐々に高くなってくる声に、ビーレウストは両手で耳を塞ぐ。
「それともロディルヴァルドは善人だから良くて、アーディルグレダムは悪人だから駄目なの?」
「貴方は一体!」
「キュラティンセオイランサだって言ってるだろ、馬鹿が!」
 元々話し合いになどなる筈もない。
 ラティランにより何度も息子の肌に虫がわいている幻覚を見せられたシャディニーナは、精神的に追い詰められラティランの手から燃料を受け取り、何度も息子の肌を焼いた。
 そして完全に狂う前にラティランはシャディニーナに種明かしをして、彼女を拷問の末に殺害した。
 皮膚を焼かれ放置された息子の前で、髪を抜かれ皮膚を剥がされた彼女は、頼った相手を間違ったことに気付いたが最早どうにもならなかった。
 彼女は息子の目の前で何かの塊のようになって死んだ。嘗て美しかった女の面影どころか、人間の形状すら無かった。
 キュラは自分が母親に焼かれた事は言わず、ただシャディニーナがラティランに殺害された経緯だけを語った。
 残酷で悍ましいその死に至った経緯に、誰もが無言のまま聞き続ける。
「こうして美しかった愛妾は死にました。満足したかい? 妹を、そして夫の一族、娘を不幸にする為に存在している醜いメディルグレジェット伯母様」
 妹の死に様に呆然としている伯母と夫を、キュラは睨み付ける。彼女はキュラが偽物だと伝えよう取った行動により、自分の信じていた世界の大部分を失うはめになった。
「ラティランクレンラセオ王がそんな事を」
 彼女にとってもラティランは善王。困惑と否定を込めて上げた、だが力無い声は、
「貴様が信じなかろうが、儂はキュラティンセオイランサの言葉を信じる」
「俺も信じるな。手前は知らねえだろうが、あの野郎は異常だ。エヴェドリットの異常性じゃなくて、ケシュマリスタの異常性をほぼ全て抱えてやがる」
 自分よりも 《ケシュマリスタ王》 を良く知っている王子達により否定された。
「でも……」
 彼女と彼が ”自ら招いた辛い人生” を支えてきた物が、崩れ去ってゆく。何に縋ろうかと忙しなく動く彼女達の目を見つめて叫ぶ。
「あんたなんかに、あの男の異常さが解ってたまるか! あの男の人間嫌いがどれ程のものか! 知らないだろう! 僕は人間の帝后と同じ肌だった。だからあの男は! だからあの……」
 そこまで叫んだ瞬間、キュラは髪を引っ張られ口を手で塞がれた。
「そこまでだ」
 顔を近づける為にカルニスタミアに引っ張られた髪は痛かったが、その痛みにキュラは ”優しさ” を感じ、だが直ぐにそれを否定する。
「……」
「これ以上叫べば、それ達の聴覚は破壊されお前の言っている事など何も聞こえなくなる」
「……」
 カルニスタミアの掌に触れ、その手を剥がす。
「落ち着いたか」
「落ち着いてはいないけど、何で止めるの?」
 椅子から立ち上がったカルニスタミアに、何時も通りの表情と声で話掛ける。
「実験に使うと聞いたが」
 表情の戻りの早さに感動と、僅かな寂しさを感じ、その僅かな感情を気取らせないように素っ気ない態度をとる。
「そんな事言ってたね。でも負傷させるくらいは良いだろ」
 キュラの発言に身を硬直させる二人だが、
「そんなに殴りたいのなら、儂でも殴れ」
 その間にカルニスタミアが入る。仕様書を読み終えたビーレウストは 《何してんだよカル。そんな事してもキュラの機嫌は……》 と思ったが、
「あ、そう。じゃあ遠慮無く」
 そう言って殴ろうと踏み込んだキュラを、カルニスタミアは容赦なく殴り ”飛ばし” ますますビーレウストは意味がわからなくなったので、黙って見ていることにした。
 殴り飛ばされ体勢を整える余裕もなく、背中から壁にぶつかったキュラは、崩れそうになる身体を腕で支えた時、初めて自分がカルニスタミアに腹を殴られた事を理解した。
 打ちつけた背中と殴られた腹の痛みと、幾分の驚きを飲み込み、
「痛いなあ。反撃するなんて聞いてなかったけど」
 言いながら誰よりも自分の声に耳を澄ます。何時もと変わらない声が出ている自分を確認する。マントの端を掴んで近付いてきたカルニスタミアは笑った。
「黙って殴られるとは言ってねえだろうが。大体キュラ、お前は誰かの為に黙って殴られるようなヤツは嫌いじゃろうが」
 カルニスタミアは殴られるのは構わなかったが、黙って殴られようものなら怒り出す事は確実だと敢えて殴り飛ばした。
「確かにそうだけどね」
 痛みと驚きと、カルニスタミアが思っていた以上に自分の性質を理解していることに怒りが鎮まり始めたキュラは、声を上げて笑った。
 その笑いは確かに笑いであったが、何か別の物も含まれていたが聞いていたビーレウストには解らなかった。”カルは解るのか?” と思いながら緋色のマントを見つめる。
「どうせ黙って殴られて、悪し様に罵られるのなら、殴って悪態つかれた方がマシじゃよ」
 その言葉に笑いを納め、手を伸ばす。
「少しは手加減してよね。起き上がれないじゃないか。手貸してよね」
「手加減はしたさ。本気じゃったら、お前の身体は真っ二つじゃよ」
 腰を屈め差し伸べられた手に、その手を乗せてゆっくりと立ち上がり、
「まあねえ」
 もう片方の手で軽くカルニスタミアの頬をはたいて、もう一度笑った。 《僕は君が好きなんだよ》 という意を込めて。


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