水精姫の選択

【16】

 イリアと久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしていたパルヴィであったが、その時間の終わりがやってきた。
 訪れた終わりの時間はヴォルフラムという。
「この娘だ」
 ヴォルフラムの体の後ろから現れた、話に聞いていた通りのエルフを見たパルヴィとイリアは驚き声を失う。
「水精……ではないな」
「イトフィルカでも初めて見る生き物か?」
「イトフィルカ……ベステーリの?」
 異形のことなど知らないに等しいパルヴィだが、王であるハイエルフ、イトフィルカのことはさすがに知っていた。
 ヴェーラ建国の頃から今まで王であり続ける、長命種の頂点に立つハイエルフの女性。
「……」
「あのっ!」
 イトフィルカが目を細め、懐かしげに自分を見たような気がしてパルヴィは手を伸ばしかけたが、ヴォルフラムによって阻まれた。
「もう解った。戻るぞ、ヴォルフラム」
「そうか。じゃあなパルヴィ。ついでにバターも持って行くな」
 出来上がったバターと攪拌機を持って、ヴォルフラムは立ち去ったイトフィルカを追うこともせずにゆっくりと部屋から出ていった。
「姫さま」
「……」
 鳥の孤影が部屋に一瞬落ち、駆け抜けるように消えていった。

◇◇◇◇◇

 バターを下働きたちに預け、イトフィルカを伴いさきほどまで話をしていたゲルティの柵庭へとまた戻り、ヴォルフラムは久しぶりに彼女と向かい会う。
「十数年ぶりだな」
「人間にとっては長い時間のようだが、私にはわからないな。人間よりも時を長く感じ、短くも感じる私にとっては」
 エルフの時の流れと人間の時の流れは違い、感じ方も大きく異なる。長い時を生きるエルフは、自然と共に流れるままに生き「もの」に執着はしない。
 そうやって生きている時はイトフィルカの時間はゆっくりと流れる。
 反対に「もの」への執着すると時の流れをはっきりと刻み、時間は瞬く間に消えてゆく。
 エルフよりも魔力があり長命とされてるハイエルフのイトフィルカは「女帝」として彼らの中でも異質な生き方をしていた。
  彼女は魔人《ヴェーラ》を数え、魔人《ヴェーラ》は彼女に時の流れを伝える。若々しく強かった魔人がいつしか老い剣を杖にかえ、子や孫に囲まれて朽ち果て る。それを目の当たりにすると、彼女は時の流れが速すぎると感じる。エルフでこの感覚を味わっているのは彼女だけとも言える。魔人を数えるようになった彼 女は、明日世界が滅びるとしても苗木を植えるエルフの生き方ができなくなった。
 いつしか朽ちるものに、無力を感じるようになったのだ。
 その中で彼女はヴォルフラムを呪った。自分の執着を解き放ってもらいたくて不老の呪いをかけたのだ。
 自分と共に生きる魔人が存在すれば、時の流れが速すぎると思わずに済むであろうと。
「話を聞かせてもらおう」
「まずは先程の娘のことから話そうか」
「なにか解ったのか? イトフィルカ」
「解るもなにも、あれは私だ」

 パルヴィは自分だとイトフィルカは断言した。

「お前?」
「十数年前にお前によって切り離され、水晶の谷へアマーダと共に落下し、永遠に失われたと思っていた私の半身だ。私は人間の年齢はよくわからないが、お前が私の半身を切り落としたあとの時代に生まれた子どもであろう?」
「俺がお前の体を切り落としたのは十六年前、あの娘は十二歳。お前の半身なら一昨日の出来事も納得できる」
「一昨日なにがあった?」
「あの娘がいる部屋は、魔女が入り込めないように細工された部屋だ。普通の異形でも出入り口以外から逃げることは無理だ。その部屋にいながら、あの娘は無意識のうちに出入り口を使わずに逃げ出した」
「私ならできるな。そしてあの娘はお前のところへと向かったのだろう」
「ああ。俺の所に覚束ない足取りでやってきた」
 呪いがどのようなものであるのか?
 ヴォルフラムは追求しようとはしなかった。彼にとり呪いは意味を持たない。自分がエルフに呪われて不老になろうとも、解こうとはしない。彼は恐れを知らず、倦むことを知らない。
「もう少し詳しく調べたいから”連れて行って”もいいか?」
「俺としては良いとは言えないね。ジークベルトが許さないことが解ってるからね」
「そうか。娘の話はここまでだ。次は私が襲われた話でもしようか」

◇◇◇◇◇

 ヴェーラと違いベステーリには堅牢な城壁を備えた街も、王の居城も存在しない。イトフィルカが住んでいるのは山の中腹の湿地帯。そこでしか成長できないマスバの樹に住んでいる。
 マスバの樹は蔓性の樹木で、絡み合った樹木の隙間は充分な広さがあり住むことが可能になる。イトフィルカが住んでいるマスバの樹はもっとも古いもので、湿地帯で成長しているマスバの樹のすべてがこの樹の子孫。
 蔓状の枝が絡まり作られた丸みを帯びた部屋には、陽をこのこの好まぬ性質でありながら鮮やかな緑の苔が生え揃っている。
 昼は陽の明るさ、夜は月の輝き。ベステーリのこの居城の上にはいつも満月が顔を出す。
 湿地に咲いている背の低い花たちの蜜をもとめてやってきた蝶たちの、忙しない注ェの動きを、窓のように大きくあいた樹の隙間から外をイトフィルカは眺めていた。
 太陽が昇りきり傾きはじめたころ、昔見た影が空に現れる。
 四名しか存在しない天族。彼らの白い翼を広げて空を舞う姿を久しぶりに見たイトフィルカは、通り過ぎるだけだろうと気にしなかった。
 だが彼らはマスバの樹へと降り立ちイトフィルカに、人間ともう一度戦い勝敗をはっきりと決めようと詰め寄ってきた。
「”はっきりと”……それはどちらかが滅びるまでということか?」
「そうだ」
「天族はそれで滅んだことを知らんのか」
「知っている。だが天族は滅んではいない、私たちがいる」
 稚拙で偏狭な意見を聞いていたイトフィルカは、彼らの背後に「誰かがいる」ことに気付いた。
 天族たちを助けたフリアエではない誰かが、彼らに要らぬことを吹き込んだことに。
 その正体を突き止めようと考え天族たちに城から出て行けと命じたが、彼らは言うことを聞かず、戦わないのならば自分たちが四人の王になると言い放ちイトフィルカを殺害しようとした。
 彼らの攻撃から移転を使いイトフィルカは難を逃れた。振り返り見えたのは、大きく抉れたマスバの樹。
「私が住んだばかりに傷つけてしまったな。申し訳ない」
 呟き彼らがイトフィルカに気付くように光りを放ち、マスバの樹から彼らを引き離して移転を繰り返し、反撃をかわしつつ少しずつ距離を取って逃げ果せた。
 逃げたイトフィルカは次に魔人を捜すことにした。もちろん彼女が捜したのはヴォルフラム。十六年間会っていない彼の気配を思い出し、転移した先で出会ったのは、彼によく似た青年テオバルト。
「その姿、もしかしてイトフィルカか?」
「そうだ。お前は?」
「テオバルト。お前の半身を切り落とした男の息子だ」

―― どれほどお前の時を止めても、お前の周囲の時は動くのだな。お前は私を……

◇◇◇◇◇

「なるほどね」
 話を聞きいているヴォルフラムの表情にイトフィルカは確信した。
 ヴォルフラムは天族のことを知っている―― 天族たちを唆したのはこの男だ ――と。