水精姫の選択

【09】

「本物を見なけりゃ、解らないねえ」
「そうかい」
「あした、連れておいでよ」
「そうしなよ」

◇◇◇◇◇

 ジークベルトは王妃ハイデマリーを伴い、パルヴィの面会を受けることにした。
「身重なあなたをこのような場に」
「水精の落とし子というのは見たかったからな」
「だから嫌なのです、ハイデマリー」
 ハイデマリーに関しては心配性のジークベルトの言葉を聞き流し、ハイデマリーは先を歩いてパルヴィの元へと向かった。
 パルヴィは連絡を受けて、硬くうなづく。
「ハイデマリーさまがいらっしゃるのでしたら、そう悪いことにはならないでしょう。ヴォルフラムさまよりもお優しく、ジークベルト陛下より柔軟でいらっしゃいますから」
 妊娠中のハイデマリーの健康管理のために本城へとやってきたテレジアがそう言い励ます。
「ハイデマリー王妃をご存じで?」
「はい、幼馴染みです。戸籍上では私はハイデマリーさまの異母伯母……とでもいいましょうか。先代グリューネヴェラー公爵の夫の愛人の子になります。年齢はテオバルトさま、ハイデマリーさまの五歳年上のお兄さまと同い年ですが」
 イリアは馬車でテレジアの身の上話を聞いていたのでおどろきはしなかったが、パルヴィはおどろきで声を失う。
「……」

 イリアは滞在用に与えられた部屋に残り、パルヴィはテレジアに案内され呼び出された部屋へとむかった。
 扉を開けた先には一緒に行けないとテレジアに言われていたパルヴィは、扉の前で胸元を掴み見上げる。
「入っていいぞ」
 扉が開き声が掛かった時、一歩後退してしまったが、呼吸を整え失礼にならないように、だが待たせないようにと大股で部屋へと入った。
 若い王と美しい王妃の前で、途切れながらも必死に故郷の窮状を訴えたがジークベルトは首を振る。
「あなたを買うつもりはない」
「……」
「普通、国が国に金を借りるときに用意する担保は国です。人のような替えのきくものでは無意味です。あなたの故国が立ちゆかないのであれば、併合してもいいですよ」
「併合……ですか」
「あ なたから答えを貰おうとは考えていません。ですがね、これは悪い話ではありません。貧乏で財政難にあえいでいる国を併合するなど、ヴェーラにとっては良い ことなど一つもない。ですが先程の詫びとして併合して負債を肩代わりしてあげると言っているのです。あなたが決めることができるのは一つだけ。併合する旨 を記した書状を送って欲しいか? それとも要らないか? あとの判断はあなたの父上がなさるでしょう」
 パルヴィは見た目以外はごく普通の”姫”であった。
  優しい家族に囲まれ、異国からやってきたイリアを侍女として雇い、ヴェールを被って姿を隠しながらも、庭を歩いて外の空気を楽しみ、旅の吟遊詩人の歌を聞 き、暖炉の前で春の訪れを待つ。剣を持って戦うことを望んだこともなければ、父の片腕となり政治に興味を持つようなこともなく、姫君としての嗜みとして刺 繍をし、機に触れタペストリーを織っていた。
 異母兄の結婚式に参列し結婚に憧れたこともあったが、容姿もあり諦め気味で物語りの世界で恋をしていた、少しばかり夢想が好きな十二歳の姫。
「……」
 彼女にはどうして欲しいとも言えなかった。
「ビヨルク・パルヴィ」
「はい。王妃さま」
「断っても戦争を仕掛けたりはしないから安心するといい。でも故国を救いたいという気持ちがあるのなら、書状を送ったほうがいい。でもどうしても解らないというのなら、お前の頭の上を通り越して送る。お前はいまの話は聞かなかった……それでどうだ?」
 パルヴィは涙をこらえながら頭を振り、手に持っているハンカチを握り絞める。
「じゃあ、返事をくれるか?」
「送ってください。お願いします……」

 パルヴィは部屋へと戻り、食事にも手を付けずに休みたいとイリアに告げた。
「寝ずの番ってのはできませんけれど、姫さまの寝室前の扉を私のベッドで塞ぎますから」
「ありがとう、イリア」
「いえいえ。あのおっかないグリューネヴェラー公爵が来たら無意味かもしれませんが、このイリアできるかぎりのことをしますので」
「無理しないでね、イリア。公爵閣下は……」
「今日は考えないで寝ましょう! 久しぶりのベッドですよ。それも寝心地とてもいいんですよ! 姫さまのこと待っている間に寝てみたんですけど、心地良くて。思わず居眠りしかかって。ご、ごめんなさいです、姫さま」
「謝る必要なんてないわよ。私も眠るの楽しみ」

 そう言って眠ったパルヴィが目を覚ましたのは真夜中で、それも寝ていた部屋ではなく野外で、目の前には血塗れのヴォルフラムが立っていた。